●各駅停車の二十世紀(4)

【『キム』ラドヤード・キプリング著】(川上 徹)

 

 二十世紀全体主義は、個性的な、それゆえに魅力的でもあった多くの人々を運動の中に呑み込んだ。彼らは運動を担っていく過程で急遠に「個性」を失い、「その人」であることをやめていった。具体的、個性的な存在としての人間が、単なる記号となり、記号と化していく過程を「成長」と感じ、そこに無上の喜びと人生の充実を見出すというメンタリティーの起源はどこにあるのか。彼らは、ある時、自らを歴史の法則の中に生きていると信じ、歴史的「使命」が呼びかける「未来」のために「利己的」なるものの一切を打って捨てようと決意した。個人的な財産や名声との縁切りは、わが事業が「究極の勝利」を収めるためであり、己れが単なる歯車やネジとなりきるのは、巨大な運動体マシーンが全世界を征服するためであり、これに貢献せんがためであった。そこでは運動過程における犠牲でさえ「法則」実現の過程における「やむをえない」歴史の一コマとなり、「階級は最後の勝利まで敗北するものである」といったお呪い的な言棄の詐術を喜んで受入れ、自らを積極的に説得する心境となったのである。マシーンと一体となった人間にとって、世界は敵と味方に二分された。それ以外の「その他」は、将来の味方(あるいは敵)になるべき予備軍と考えるか、戦闘が展開される戦場か、よくて風景と化した。一人の人間は「兵隊」となり、多様な人間の存在は数量となり、山や川は防壁または障害となり、せいぜい「輝かしい未来」の風景の下絵となった。そして自分は微分された数量となり記号となった。いつまで経ってもおぼろげな形さえ現さない「最後の勝利の日」は、いつの日かお題目となった。これは人生のゲーム化である。記号の情熱。こうした無数の情熱によって二十世紀全体主義運動は成立しえた。

 運動を支える優秀な党員においては、「究極の勝利」…ドグマに関わりそうだと思える間題についての驚くべき嗅覚とぞっとするような思いきり、一方におけるドグマの利害にとりあえず関わりの無いもの一切に対する無関心、無視を特徴とする。しかし、彼が党員に「成長」しきる以前においては、彼には人間らしい多くの表情があったし、何よりも「私心の無さ」が、貴重な美徳として周囲から肯定されさえもした時期があったはずなのだ。もっとも、その私心の無さは、じつはアトム化した人間の「私心(=自分自身)の喪失」と裏腹であり、自分をしっかりとつかんでくれる「鉄のたが」を求め、これに魅かれていく契機にもなっていったものでもあるのだが。

 党員たちの[成長」の過程にいくつかの段階があり、したがって揺らん期もあり、「予行演習」さえもがあるのと同じように、「破局の三十年代を『創立期』とする『創造的』な古典的全体主義」(藤田省三)には、それに先立つ揺らん期があり、歴史的「予行演習」の時期があった。十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、イギリス帝国主義が跳りょうしたインド大陸もそのひとつであった。

 少年キムは、駐印アイルランド軍・マヴェリック連隊の軍人でバンジャブ秘密結社の一員でもあったキムブル・オハラの息子である。乳呑み子の時に親を失い、貧しいインド人乳母に育てられたキムは、ほとんど自力で自立した少年になっていく。自分の出自に関しては、「キム」という自分の名前と乳母から日いたお呪いのような話のほか確たるものは一切無く、白人の子であることはもち論知らず、広い大陸を放浪児として生抜いてきた。すばしこく、何にでも興昧と好奇心を抱き、いいかげんな大人たちの偽善はあっさりと見抜き、彼らに見事一杯食わすのは朝飯前の、瞳がキラキラと輝く魅力的で賢い少年。彼にとっては、土煙が舞い水や太陽の光さえもが匂うような、そして人々の貧しさやごまかしや泥棒や殺人が混沌として渦巻いているインドの大地こそが生活の易であり、彼に生気を与えてくれる命そのものであった。「この混沌は、のんびり構えておりさえすれば、素朴な人間の必要とするすべてのものを、ちゃんと当てがってくれるようにできていた」。

 少年はふとした縁で、今までの人生で会ったことのない奇妙なラマ僧と旅をすることになる。六道輪廻(りくどうりんね)のこの世における、罪業の汚穢(おわい)と不浄を洗い流し霊験をつむために、聖河を探そうというこの老人に、キムは途方もなく心をかきたてられたのであった。「ほんとうのこと」しかしゃべらないこの老人のような珍しい人間に、彼はこのインドでまだ一度も出くわしたことがなかったからである。

 旅に最小限必要な路銀をせしめようと、このラホールの町の博労のポス、アフガニスタン人のマハバブを訪ねた時からキムの連命は変った。マハバブは「人種調査局」なるイギリス秘密諜報機関に記号で登録されている諜報員でもあった。

 当時、インド中西部から北方に向けて版図を広げようとするイギリスと、南下の饒会を狙っていたロシアは、アフガニスタン周辺でせめぎあっていた。地域に割拠する五人の王は、北と南から押寄せる二つの強国の鼻息をうかがい、ある時は天びんにかけながら生延びる術策に苦労していた。イギリスの資本家が大機械に投資する費用を産み出したのはインドからはぎ取った富であったし、大規模生産によって産出した製品を売りさばく市場となったのもインドであった。インドはイギリスにとってつねに危急の時の「救いの舟」(ネルー)であった。マハバブは二つの強国が争っている地帯に隊商を装っては潜り込み、情報を収集しクライトン大佐率いるイギリス諜報機関に届けるのが使命であった。キムがマハバブを訪ねた時、彼は、五人の王たちがじつはロシアに通じているらしいとの、「白馬の血統図」なる暗号名をつけられた最新の情報を得ていたが、刺客に狙われて動きがとれない時期であった。キムとラマ僧の二人旅は秘密の「使者」としては格好の隠れみのとなったのである。

 刺客や密偵に追われながら、無事クライトン大佐に「血統図」を届けるまでの過程で、キムはわくわくするような興奮を覚えた。「血統図」を見たイギリス人たちが北方へ向けて軍隊を移動させる秘密指令を発するのを目撃した。マハバブとの約束を果し、「混沌」の社会に戻った彼は、諜報機関の出した秘密指令が時々刻々と実現し、インドの運命や人々の生活が変っていくのを見る。垣間見たほんの少しばかりの秘密を知っているだけで、キムは「予言者」となり、「神の使い」ともなった。物語の前半はここで終わる。

 その後、幾つかの偶然を径て、キムはクライトン大佐の一昧に拾われ、少年の類希な才能を見込んだ大佐たちによって本格的な諜報員教育を受けることとなる。インドの放浪児は、そこで古今東西のあらゆる知識を授けられ、さらには諜報員としての特殊訓練を体験していった。大佐も驚くほどの優秀な成績を収めたキムは、自分の運命を理解した。「おれという奴はまるで蹴られるボールみたいに、あちこち蹴飛ばされていく。多分これがおれの運命なんだ」と。冒険の旅の相棒であり、尊敬する師匠でもあるラマ僧が常々口にしている六道輪廻の人生観とも、奇妙に一致するのであった。人生は止まることを知らない流転そのものではあるまいか。おれがラマ僧と一緒にいるとき、不思議に心がなごみ安心するのはそうしたことかもしれない。

 キムは以前から変装が得意だった。町の油売りになったり、地主の息子になったり、バラモン僧の弟子になったり、短時間のうちに女装することさえ簡単なことだった。幼い頃からの「混沌」のなかでしっかりと見てきたものばかりだ。そして、それぞれの人間の話し方、歩き方、せき払いの仕方、くしゃみの仕方、つばの吐き方を覚え、特殊訓練の中で変身に磨きをかけていった。慣習を不可能とする不断の変化への魅力。絶えざる変身への瞳れ。この生き方は、ひとところにじっとしていることを許さない。キムはいつか自分の首に懸賞金がかかってお尋ね者になる日を夢見た。

 訓練期間を卒業し、いよいよインド人諜報員の青年と組んで命がけのスパイ活動に飛込んでいこうとするその日、白人の熟練機関員はキムに言った。「君たちが銘記すべきことは、自分たちには名前が無く、ただ数字と記号があるだけだという事実だ。これが私たちの生き方なんだよ」。自分が卒業した学校の卒業生名簿からキムの名は削除された。

 熟練機関員は、これからの仕事に大事なことは「距離と数宇と羅針盤」だ、歩尺で地図が書けなけれぱいけない、とも言った。キムは予感した。「おれとマハバブとクライトンと、自分たちはひとつながりの人間になった。」「おれたちの命はお互いの手のなかにしっかりと握られている」と。そこには絶えざる危険と恐怖との闘いの中で生れた、秘密の匂いがする友情さえ感じられた。記号の友情。秘密結社の存続自体が生きる価値となった。それはあたかも動力で回転しつづけるマシーンであり、マシーンはその歯車となった人間の人生観を変えた。光あるもの、光の中で動めくもの一切への軽べつ。人生は永遠に続くゲームであり、それは死ぬまで続くのである。キムは自覚する。「成すべきことは行動し死ぬこと。何故かを考えることではない」と。考えるべきは「見事な出来栄えのゲーム」をいかに成し遂げるかであって、その目的を考えることではない。目的は「上部」が考えることだ。目的が具体的な「数字」と「記号」とに変換されたもの、それが我々の存在そのものなのだから。我々は直面するゲームにおいて勝利者にならなければならない。そして直面するゲームで勝つことは、たんに生き延びただけのことであって、それは次に続くゲームの勢いづけにすぎない。ロシアの秘密謀報員との命がけの争闘のあと、キムは、大好きなラマ僧とのしばしの安らぎのなかで、そう感じるのであった。

 イギリスのインド支配は「インド文官団(Indian Civil Service)」と呼ばれる特殊な官僚機構とそれを実質的に支える秘密諜報機関によって実現していた。この「奇態な人間の一群」について、ガンジーとともにインド独立闘争を指導し、解放とともに首相になったジャワハルラル・ネルーは、次のように書いている。「ある点で彼らは有能だ。彼らは政府を組織し、イギリスの支配を強化し、同時にそれによって自らの利益をはかる。彼らは人民によって任命されたものではなく、人民に責任を負うものでもなかった。当然のことながら、かれらは尊大に大きくかまえ、世論を軽視した。 そして自分たちが地球上でもっとも賢明な人間であるかのように思い上がった。彼らは一種のなれあい社会を形づくって、お亙い同士を仲間ぼめしあった。無制限の権力と権威が必然的にこうした状態をみちびき、事実上、この文官団がインドの主人となった。イギリス議会は干渉の手をのばすには、あまりに遠く離れ過ぎていた」

 ネルーがここでインド人の立場から「インド文官団」というイギリス帝国主義支配機構について述べている点について、H・アレントは、ロード・クローマー(インド総督秘書、インド政府財務委員などを経てのちエジプト総領事)の著書『従属民族の統治』を紹介しながらかれら帝国主義者の思想の核心をついている。クローマーは、民族を民族によって(インド民族をイギリス民族によって)支配することは不可能と考えていたから、帝国主義的行政機構は「径験を積んだ少数者」としての専門家の政府でなければならず、「無経験な多数者」の絶えざる圧力をいかに拒み、これから自由を確保するかに意を使わなければならなかった。この支配形式に必要なものは、厳しい「規律」と高度、の「訓練」と「絶対的」信頼を備えたメンバーから成る有能な参謀本部 = 秘密結社である。だから、とアレントは書いている。

「この人々は虚栄や個人的野心から自由であるばかりでなく、自分の業績が自分の名前と結び付けられることを願う。自然な人間的期待すら放棄する覚悟がなくてはならない。必要とされているのは、舞台裏の権力を愛し無名性への情熱を持つ男たちである」

 歴史とは「大いなる力」([歴史的法則」と呼ぼうが「従属民族に対するイギリス民族の責任」と呼ぼうがどうでもいい)によってその運航が決定されるものであり、その糸を操るのは舞台裏に隠れたエリート(「前衛」と呼ぼうが「参謀本部」と呼ぼうがどうでもいい)たちなのだから。

『キム』が二十世紀初頭のイギリス国民に与えた影響は絶大なものがあった。著者ラドヤード・キプリング(一八六五〜一九三六年)はボンベイに生まれ、早くからインドのジャーナリズム界で活躍し、アメリカ、中国、アフリカ、オーストラリアそして日本などを旅した。一九〇七年にはノーベル文学賞を受賞している。植民地における豊富な体験と世界各地の見聞を基礎にして生まれた諸作品は、膨張を重ねるイギリス帝国主義の精神の骨格を作り上げていく上で決定的な役割を果たしたという。その中でもとりわけ「秘密機関員キムの物語が帝国主義時代最大の記録文学となりえたのは、情熱的で強烈な生の充実感とさめた意識がその底に流れて」(アレント)いたからであった。おそらくイギリス国内で落ちつくべき場所を失い、「生の充実」などどこにも見つけられない有能な若者たちにとって、はるか東方の地にあって「終りなきゲーム」に生き生きと飛びこんでいく「キム」の姿は強烈に魅力的であったに違いない。

 すべての物事が「合理的」な「目的」ごとに区分けされ、細分化された世界にあって、「なすべきことは行動し死ぬこと」と信じて疑わないキムの世界は、「無目的」の魅力に満ち満ちていた。歴史の「大いなる力」を信じ、植民地勤務に勇んで雄飛していったイギリスの若者たちが、その後、どのような運命をたどったかはここではふれない。

 ただ、インドのその後の運命との関連で、一つだけ思い出しておきたいのは、『キム』が出版(一九〇一)された数年後、人種思想発祥の地南アフリカ(各駅停車の二十世紀・)で活躍していた一人のインド人弁護士の名である。彼は、当地での人種差別政策に抵抗していたインド人出稼ぎ労働者たちに招かれて現地を訪れ、非暴力抵抗運動を指導した。そしてその戦いに勝利したことを、ネルーが『父から子に語る世界歴史』の中でインド史における誇りとして書き記している。まだ無名であったその弁護士こそモーハンダス・カラムチャンド・ガンディーである。