水戸で行われた五十九年国体の野球の決勝戦で、延長四十五回、双方相談らず、ついに引き分け再試合となった1という記事を新聞で読んで、遠い遠い昔のことを思い出した。奇しくも四十五回、という延長のイニングも全く同じ試合を、いや、再試合を加えるともっとすごい延々長戦を私は目撃している。
昭和二十五年八月○○日。前橋市営グラウンドで、第五回実業団軟式野球大会準決勝戦が行われた。この試合は国体の予選も兼ねていて三笠宮殿下が、始球式を行っている。
高崎理研合成 対 伊勢崎東毛紡織
試合開始、午後一時。
その日は、私は前橋高校のグラウンドで昼からの野球部の練習に参加していた。高校一年の時である。三年生の中には甲子園出場組もいるだけに、その年も期待された夏の大会だったが、「夏に弱い前橋」の汚名をくつがえすことができずに敗退し、新メムバーでのスタート直後のことだった。
練習も終わりに近づいた頃、誰が聞いてきたのか、『前橋球場で、すごい延長戦をやっているらしいぞ。『東毛紡』と『理研合成』だってさ」という噂が入ってきた。私の兄が、『東毛紡織』のピッチャーをやってることを知っての話である。噂によると、目下、二十五回の延長中で、まだまだ続いているという。私はすぐにも飛んで行きたかったが、練習も終わってないし学校から球場までは早足でも小一時間かかる。第一、今から飛んで行ったところで延長戦に決着はついてしまうだろうと、半分はあきらめていた。
やがて、練習も終了し、顔や手足を洗っていると、又々、ニュースが入って来た。
「兄貴の試合、まだやってるらしいぞ一、すぐ行けば間に合うよ」
「よし!おれの自転車のケツに乗れ。途中まで乗せて行ってやる」
仲間にそう言われて私も決心がついた。前橋市(旧市街)の東南のはずれから、市街を通って西端まで、自転車でも三十分位かかったろう。心の隅ではいくら何でも、もう決着はついているだろう。もし、試合が終わっていたら、兄貴と一緒に帰ればいいや、と思っていたが、なんと、まだ、やっていた。 すごい、すごい。満員の球場に入り込み、観客をかき分けて前へ進んだ。