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沖縄初の外交官 田場盛義の生涯とその時代  新刊

沖縄初の外交官 田場盛義の生涯とその時代

終生沖縄を愛し、自らの学識と体験を沖縄のために役立てたいと念じていた外交官・田場盛義の波乱の生涯

著者 又吉 盛清 編著
国吉 美恵子 編著
ジャンル 人文・歴史
社会 > 沖縄
出版年月日 2016/03/28
ISBN 9784886837950
判型・ページ数 B5・138ページ
定価 本体2,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

第1章 『沖縄初の外交官 田場盛義の生涯とその時代』の発刊に当たって
第2章 田場の足跡を中国に訪ねて ―香港・アモイ・福州・上海―
第3章 田場が発表した論文集
第4章 新聞報道に見る通州事件と田場の死去
第5章 田場と共に激動の時代を生きて
第6章 伯父との思い出、家族のきずな
第7章 沖縄と東アジアの歴史・文化・平和的な共生を目指して、次世代へのメッセージ

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内容説明

田場盛義・たばせいぎ
 
 田場盛義(一八九四年―一九三七年)は、沖縄県浦添市当山の出身である。田場は一九二七年(大正六)、難関の国家試験を突破して外交官になる。その任地は、東京の外務省本省から中国の福州、香港、アモイ、吉林、漢口(武漢)、南京の領事館から上海商務官事務所、長春の「満州国外交部」、北京の通州特派員公署であった。
 田場の外交官としての実績は、抜群の語学力と交渉力が認められ、上海では松岡洋右(後の外務大臣)の秘書役をつとめている。外交官生活の大半を中国で活躍しながら、終生沖縄を愛し、自らの学識と体験を沖縄のために役立てたいと念じていた。雅号も「耕南」(南を耕す)と称したのはそのためである。しかし、日本の中国侵略と植民地支配の国策の「不幸な時代」の中で田場の豊かな才能も十分に開花できず、一九三七年(昭和一二)、通州事件が勃発、志の半ばに四二歳の若さで短い生涯を閉じた。亡骸は、田場の業績「満州国葬」の後に那覇市に移されて「那覇市葬」が営まれた。
 今、出身地の浦添市と当山自治会では、沖縄を背負い中国を生きた田場の生涯をよく知り、これからの沖縄と東アジアを生きる人材育成、地域振興と友好親善、学術文化交流、平和・共生につなげたいと、二〇一〇年三月に顕彰碑が出生地の当山小公園に建立された。
(又吉盛清)

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