ホーム > 出版事業にあたって

出版事業にあたって

  現在私たちは、誰もが行き先に対する不安を抱きながら、追い立てられるようにして生きている。そして、自分が生きている意味、価値が失われつつある危機を感じている。人は、糧を得るために労働力の売り手として在るばかりではない。それぞれに意欲し、考え、引き受け、情熱をもって物事にあたり、それらの経験を重ねることによって、生きている価値を実感したいと強く望んでいる。そして、その価値は、自分を包み込んでいる人々のつながり、互いに主体的で自発的な人間の関係の中でのみ発見し、確認し、認めあえるものである。社会が、そうした相互主体的な人間の有機的集まりであるとすれば、現代においては、社会は崩壊しつつあると言ってよい。それに替わって、制度が、システムが、すさまじい勢いで人々の意識まで含めて併呑しつつある。もし私たちが手をこまねいているならば、孤立した一人ひとりの人間は、全てが市場商品と化したこのシステムの中で、生身を晒したままひき潰されてしまうのではないか。
  多くの人々は、企業で、組合で、あるいは様々な組織や運動で、利害に引きずられながら、「生産者」として、「消費者」として組み入れられている。しかし、そこではまるごとの人間が「分野」ごとに分解され、制度の中の「部品」と化す危険を常にはらんでいる。これは、社会ではない。
  私たちに残された途は、崩壊が完全な段階に至る前に、即ち、人間の生存の危機にまで及ばぬうちに、それぞれの所で、生活を構成している全ての事柄について、すなわち社会そのものの再編・再建をはかることではないだろうか。生活(=生きること)とは、全般的・全面的なものである。私たちは、「生産者」として、「消費者」として、あるいは福祉を受け担う者として、精神的文化的に多様な意識を合わせ持つ者として、それらが有機的関連を持った一個の人間として、即ち「生活者」として生きているのである。従って社会は、生活の全面にわたって再編・再建されなければならないだろう。
  その社会においては、それぞれの得意や能力を自分にとって必要とし、自分の「居場所」をお互いに発見しあえる関係、文字どおり人間が組み合う関係でなければならない。それは、経済的、文化的に、およそまるごとの人間にとって必要な一切のものに関する相互扶助の関係である。この関係は、自発的・自主的であることを前提とする。基準は外から与えられるものではなく、内から、自分たちで作り上げられるものである。更にそれは、一回一回が等価交換の基準に従ってきれいにケリがつけられる関係ではない。心理的満足も含めて、誰でもがせめて生きていける社会、人類学の用語で言う「互酬性」の生きている社会と言えようか。クロポトキンの言う「相互扶助的社会」もまた、そういうものであったろう。伝統的な社会には、不公平きわまりない身分制度や、それに加えて様々な不自由、不便、煩わしさがあった。今更誰もそこに戻ることは出来ないだろう。いま私たちには、そうした社会の持つ弊害を拒みながら、現代社会の大きな歪みを補正していくために、「互酬性」や「相互扶助論」を活用していくことが必要になっているのではあるまいか。
  古い社会には「村八分」のような不完全な「追放」はあった。「村八分」とは葬式と火事の場合を除いて八割だけ市民権を剥奪することであった。ところが、目下、世界各地を放浪している難民には、人間としての生存の基盤そのものが奪い取られている。このような人間の「抹殺」は現代特有のものである。惨劇をこれ以上大きくしてはならない。現代の危機は人間の生存そのものに直接反映している。従って「生活者」が直面する問題は、どの切口をとってもすべてが全体の問題につながっていかざるをえない。今、私たちは「生活者」の視点に立って、世界を、私たちを取り巻く現実を捉え直す時である。
  私たちのささやかな出版事業が、これらの問題を読者の皆さんと共に考え、助け合って進めていけることを切に願っている。社会を再建するための力となるように。

このページのトップへ