断層 顔
山内 久(シナリオ作家協会会長)
シナリオ作家協会の忘年会で、旧友のBが吐き捨てるように言った。
「見ろ、こいつらの面。来年、すごいシナリオを書きそうな奴が一人でもいるかよ」
なるほど屈託なく福引きに興じている男女の会員たちの顔には何の陰りも無く、幸福な市民そのものに見えた。それはそれでいいじゃないかと思ったが、私自身、Bの言葉に精神の弛緩を突かれたようなじくじたるものがあったので、
『面魂を磨こう』というエッセーを会報に書いた。
ひと月ばかりしてBと会ったら、「おい、面魂と言う言葉はもう死語だぞ」と言う。私はムッとなり、そんなばかな事があるかと反論した。
「いや本当だよ。おれの所へ来た若い奴が、お前の文章を指して、このメンコンて何ですかって聞きやがったぞ」
私はカッとなるまでBが悪いかのように反論し激論してしまったが、結局、面魂と言う字さえろくに教えない教育だから面魂を持った人間がいなくなってしまったと言う手で一致し握手した。そして、はるか昔のことを思い出した。
銀座通りを一人で歩いていた。
当時、松竹の製作本部は歌舞伎ビルにあり、そこでの打合せでシナリオにいろいろケチをつけられた私はムカムカし、反面、かなりシオシオした気持ちだった。ハッと気がつくと、目の前の六、七メートルの所に小津安二郎さんと吐夢さん(内だ監督)がいた。すごい貫禄だった。壁が近づいてくるようだった。
「ア、ア……」
と思う間もなく距離は無くなり、私はヘドモド最敬礼して道をお譲りした。
二人とも映画界きっての美男子だったし、しかも当時は男ざかり、仕事盛りだった。会釈を返す目もとには優しさがあり、そのくせ風ぼう全体には威圧する力があり、見送る後ろ姿には誰をも魅惑する男の瀟洒(しょうしゃ)があった。私は圧倒されて見送った。だがあの日、お二人に偶然会ったことで、何故だか強く激励されたことを覚えている。反発を含めての尊敬と言うか、あるいはその逆とでも言うか、「頑張らなくちゃ!」と言う重いがむらむらと燃え上がった。
小津さんや吐夢さんの美ぼうは生まれついてのものだろうが、ただそれだけのものとは思われない。
シナリオの仕事を蓼科で続けていられた頃、小津さんは毎朝の身支度に一時間はかけられた。あれっぽっちの泥鰌(どじょう)ひげをそり、あれっぽっちの髪の毛をすくのに、何であんなにと笑うばかもいたが、全てを小津さんの流儀で運べば、ゆうにその位はかかるのである。着る物、かぶる物、履く物、カミソリ、ひげブラシ、つめ切りから鼻毛切りばさみまで、小津さんは自分の気に入った最高級品しか使わなかった。
物だけではない。仕事については誰でも知っているが、日常生活のマナーについてもそうだった。自分を軽んじなかったら人も軽んじなかった。
「俺は初対面の人には丁寧にお辞儀するんだ。どれ程偉い人か判らないもんな」
その言葉通りどんな若い人間にも正面を向いて礼を返された。
すごいなと思ったのはがんセンターに入院される前、北鎌倉の宅にそれとなくお別れに伺った時だ。
枕元には福田平八郎の鯉の絵がかかっていた。話題に苦しむ私を救うように、小津さんはポツリと言った。
「平八郎はいいな。迷いがないから」
そのつぶやきを聞いた時、いかに小津さんが迷い、いかに多くを切り捨て、苦しみ迷いながら小津流を完成したかが一瞬に判った。
人生のことも創作のことも、あの顔からいかに多く学んだかを今にして気づく。