『アイデンティティと時代―一九七〇年代の東大・セツルの体験から』を出版して

山田正行


  
 小著『アイデンティティと時代―一九七〇年代の東大・セツルの体験から』を友人、知人に案内した。これに対して何人も応えてくれた。感謝である。以下、その一部と、私の返信を紹介する。そこから、友人や知人たち「アイデンティティと時代」の一端がうかがえる。そして、これらにより「時代」の多面的な認識が得られるように願う。


10月14日
ST:山田先生。著書の話、KBさんからうかがいました。○○先生の定年に伴い、KBさんに○○先生の生涯学習論・をお願いしています。教育学研究室も……定員削減で危機的です。心理学は……唯一増えていますが、臨床心理士協会の圧力です。
 著書の方、発売になりましたら、購入させていただきます。日本の左翼は今後どうなっていくのか、興味深いところです。

山田:……体制の統制管理を逃れて、体制批判に向かった青年が、そこで宮本体制の統制管理に絡め取られたことを述べています。ご教示を。また図書館にもご推薦を。

TN:山田先生とは同時代であることがわかりました。私は1952年生まれの立命館大卒です。よく民青にいじめられていました。私はべ平連派でした。同時代社は「ローザ・ルクセンブルク」刊行でお世話になりました。また拝読させていただきます。私のまさに同時代の話ですし。

山田:……かつて「民青」だった青年の中から、今の「立命館」の経営管理者が出ました。そして、今や「立命館」は「絶命館」とも称されるようになっています。……

IN(留学後に日本で教えている):メールありがとうございます。お元気ですか? いつも学会のメールリストから先生のご意見を拝読しております。ノーベル平和賞で中国に対して影響を与えるメッセージが広がることを期待しております。近日、出版されると思うセツルの活動を取り上げた先生の著作を拝読するのが楽しみです。近年、資本主義の中で学生達と社会を変えるために出来る方法を議論しております。特に、このように不安定な労働環境の中で、、、セツルのような活動から昔の青年が変っていく姿がみられることを楽しみにしております。それでは、今後との先生からご助言を頂ければ幸いです。

山田:IN学兄。中国と北朝鮮(北韓)の変化は連動するでしょう。私は中国の朝鮮族の文化大革命の写真集『延辺文化大革命』土香出版を入手して見ました(韓国で出版ですが、日本語の説明も含まれている)。文革はマジョリティの漢民族にとっては複雑な政治運動、政治抗争で単純に評価できないのですが、マイノリティ(少数民族)にとっては基本的に支配の強化と被害と見ていいでしょう。チベットの文革の写真証言集(『殺劫』集広舎)を参照。そして、北は支配者で加害者の中国の側に立ち続けたということになるでしょう。21世紀になり、この問題に迫らざるを得ません。そうすると、加害の責任、指導者の正当性の問題に至ります。現在の状況は目が離せません。

U/L:なかなか興味をそそられる先生の御本を案内いただきありがとうございます。当時、新日和見主義について関心はあったものの、私とは隔絶された場所でありました。
 実は最近、抗日戦争期の在華反戦同盟の人たち、8・15以降の解放戦争参加日本人の聞き取りの(ビデオ撮影)の仕事を始めました。この人たちの活動は、ある意味ではいわゆる戦後革命期、また5全協・6全協にかかる日本共産党の問題に強くつながっていることを知りました。
 日本の戦後期における階級闘争、革命運動を見ていく場合、「党」としての日本共産党についてもっと掘り下げていくことが必須だという思いに至っています。きっと、いずれ先生の御本とどこかで繋がっていくのではないかと感じます。……

山田:……さすがに鋭いですね。本書では「トッキュー(徳田球一)」について何度も触れています。その「残党」のような人達と出会っていました。ご教示を。

TB:新著が色々な議論のきっかけになるとよいですね。先日、中野で行われたラブリオーラのシンポ(私も報告を依頼されて出席した)で川上さんと民青全学連「再建」大会以来、2度目にお会いしました。私はあの「再建」大会の時、議事運営委員で壇上にいました。我々(当時の民学同系自治会)は、地域で諸潮流の学生が統一して運動できている、共産党系だけでなぜ別組織をつくるのかと訴えました。三派全学連「再建」大会の時も同じ訴えを私たちは(私自身も明治大まで行って)行いました。その後、私自身は先輩たちと衝突し、早々とインデペンデントに生きておりますので過去の党派的な自己正当化などまったく関心がありませんし、そもそも民学同はソ連権威主義という致命的な誤謬をおかしていたと思いますが、公平に見て当時の我々が地域の学生の運動の統一を優先せよと主張したことはまったく正しかったのではないかと今でも思っております。関西では大阪府学連、京都府学連、兵庫県学連の統一行動で5、6千人規模の学生デモを次々やっていたのです。民学同系、民青系、ブント系、フロント系、みんなかんかんがくがくの議論をしながら統一行動、統一組織でやっていました。この可能性が党派的利害から断ち切られた。この点にも日本の戦後左翼運動の限界が如実に出ているのではないか。この点について川上さんに問いただしたところ、自己批判的コメントを数十人の前でされました。私は川上さんのコメントの中に、運動家の良心を確認できて率直にうれしかったですが、同時に我々の世代の学生運動があれだけの力を示しながら、なぜ先輩世代左翼の欠陥を克服できなかったのか、この問題を考えないといけないなと思いました。懐古趣味ではなく、現在の運動の問題として。取り急ぎ感想です。

山田:……小生は言わば「遅れて来た青年」です。そして、70年代について、小著では体制の統制管理を逃れて、体制批判に向かった青年が、そこで宮本体制の統制管理に絡め取られたことを述べました。また、私は「学生運動」は心底から苦手でした。さて、セツルに向かったのは、廖亦武(老威)の『中国低層訪談録』(集広舎)に通じます。私は、2007年春、彼や、劉暁波(今度のノーベル平和賞受賞者)と北京で談話しました。その後、老威とは「義兄弟」の契りを結びました。老威は劉暁波を兄貴と思っていますから、私も劉暁波と「義兄弟」になっているとも言えます。このような得体の知れない複合が、小生の中にあり、その起点が小著で述べられています。……

11月1日
MK:……大阪教育大学はずいぶん変わったのでしょうか? 私は1962〜1968年、新卒の身で府立池田高校に勤務しながら民青の北摂地区委員などをやり、ずいぶん、池田分校(当時)にオルグにも行きました(高校と大学の体育科の教員も知り合いがいたので)。苦労したのを覚えています。その後、「石をもて追わるる」ごとく大阪を離れ、東京に移動しました。「60年安保」世代ですが、東京では再び「70年安保」、「筑波移転闘争」と、続きました。しかし、あなたの「活動」された70年代後半はすでに大学教員(1972年から今年まで)になっており、多少、「スポーツと平和」運動で「査問」(古在由重さんや原水協問題にからんで)を受けたりしました。
 もう忘却の彼方に捨て去りたい気持ちと「あれは一体何だったんだ」という気持ちとが交錯します。というわけであなたの『御著』をこれからしっかりと読んでみようと思います。……

山田:小著を読めばお分かりになると思いますが、忘れていた=無意識に抑圧していたことがいくつもありました。それを「意識化」しなければならなくなったのは、一度は廃棄した資料が現れたからです。そして、MK先生と同じような体験をされたと推測する青年労働者たちについても想い出すようになりました。さらに、私が「海坊主」(第3章)と呼ぶ人物もそうでしょう。
 さて、現在、大阪教育大学では、……民青・共産党はいるかいないか分からない状態です。他方、柏原や八尾の地域では「ど根性」で、底力を秘めていると言われていますが、「眠れる獅子」のままか、それとも……ともあれ、大阪に身を置く私としては、先生のご体験をまとめていただくことを期待します。

11月2日
YD:……この本は自己離脱の本で書く必然性があるのだと強く感じました。……水泳と同じ、泳がないとおぼれるのですの思いがわいてきました。……私が中学一年の時、徳球が……を知ったのです。ここに共産党と日本の関係が一断面としてあります。

山田:……泳がないと溺れるのは、風は吹かなくなると風でなくなるのに通じますね。人間のあり方を考えさせられます。……

11月5日
YI:……YDは嬉しかったと思います。実直な人ですから、嬉しいからこそ、丁寧な論評を先生にしたためたのでしょう。トッキューさんのことで今後、もし知りたいことがあれば、……わからないことでも、喜んで先生のために動いてくれると思います。
 私からの論評。まず、これで先生にとってのトッキュー研究は一段落したかな、ということ、民青、党員であったことやキリスト教徒であること、資料としての聖書も証されており、このニッポンという国柄において、隠したがることを、あえて出版という形で明らかにされた研究者の在りようが、社会教育の主体形成論として、おもしろく、呈示されているという点で、貴重であると評します。また、主体形成の背景として「あの時代」への関心を喚起させている点も、御著の命脈でしょう。
 美化に通ずるのかもしれませんが、自己肯定を分析の前提として書かれていることが、自虐にも卑屈にもならない、著作の強さであると読みました。  私が2008年でしたっけ、回想録の小論を書いて、雑誌に投稿し、先生にも読んで頂きました。あれが、先生の躍動していた今回の著作エンジンをさらに動かすことに少しでも貢献できたのであれば幸いです。

山田:確かに「回想録の小論」は遠因としてあります。また「反省」をめぐり意見を交わしたこともそうでしょう。感謝します。また論評もありがとう。さらに研鑽を積みます。
 当時の関係者(「魔女」のMjさんなど)にも小著を送りました。そして、論評、反論、回想をお願いしようかどうかと迷っています。あるいは恐れています。まだ「時」ではない、導きがないと感じて止めています。ともあれ、今後ともよろしくお願いします。

11月6日
NO:……全体に非常に興味深く読ませていただきました。ぼく自身は、当時、いろんなセクトからお誘いを受けながら、結局かかわることがありませんでしたし、現在に至るもまったく変わりありませんが、山田先生が活動の中で経験されたことは貴重だと思いますし、ぼくには絶対書くことのできない内容が随所にあって、非常におもしろく読ませていただきました。……

付記:本文中の訂正
 p.152,l.9:……人間だった……→……人間ではなかった……
 p.176,l.2:……多様……→……多用……
 また、他に、「てにをは」関係の誤りが多くある。今までこのようなことはなかったので、どうしてかと不思議に思い、この点を自己分析してみた。そして、小著は私の記憶を中軸にしており、この記憶が妥当か否か、その自己分析が自分の美化になっていないかどうかということに意識が集中し、「てにおは」の点がおろそかになったのではないかと考えた。第2校でも文章を加筆するか、削除するか、そのままにしておくかなどと迷っていた。まことに自己分析とは困難な作業で、果てがない。パスカル「人間が無限に人間を超えることを学べ」(『パンセ』434)、世阿弥「命には終わりあり、能には果てあるべからず」(『花鏡』結び)に学び、さらに努力していきたい。
 
2010年11月8日 山田正行