『アイデンティティと時代』を出版して その5
山田正行
2010年11月26日
TN:……山田さんのお母さんは面白いですね。庶民の現実主義の強さを感じます。……
山田:……山奥の出身で、権威や学歴などが分からなかったのかもしれません。夏休みに帰省したとき、書棚に海後宗臣『教育の社会基底』(河出書房、一九五九年)があり、「え!こんなのを読んでいたのか!?」と驚いて、手に取ると、表紙の裏に「この講習は何だったのか。何を言っているか何も分からなかった。山寺○子」と書かれていました。日教組の教研集会に出たのでしょうが、このような結果でした。そして、分からない自分を「山田」ならぬ「山寺(母はまさに山の小さな寺の出身)」と表現するところがありました。私は、この本を母に見せて、「これ、(東京に持って行くけど)いいか?」と聞くと、全く忘れていて、「何だい、それ?」という表情でした。
私の大学受験の時も、受験そのものがよく分かっていなく、従って、熱心にはならず、東大に合格したときも何も言いいませんでした。さらに学位を取得して「博士になったぞ」と言ったときなどは、「博士ってのは、バカセって言われるんだ」と応じられただけでした。私はもう慣れましたから、その通りですと自戒するように努めました。……
11月28日
ハタ坊:……早速拝読させていただきました。もう40年近く以前のことになりますが、当時の懐かしいセツラーの名前が次々と出てきたうえ、グラッチェの話まで出てきて、懐かしい青春の一時期がまたよみがえりました。山田さんが、一度はこういう形でまとめなければならないと強く思われていた背景事情も私なりに理解させていただきました。また東京へ行った折りには、懐かしいみんなにあってみたいとも思っております。有り難うございました。今後の益々のご発展を祈念します。
山田:……丁寧にメールをありがとうございます。グラッチェのくだりは心が痛みます。p.51で述べたとおり、「次第に自分を納得させていった」結果であり、自信はありません。小著を学生と読みあっていますが、警察に知らせるべきだったという意見が出されます。しかし、今でも、グラッチェは絶対に行かず、また、私たちだけが警察に知らせても対応されず、さらに中途半端に対応されたら、私たちだけでなく、学生、セツルということで他のセツラーにもとばっちりがいく可能性があり、あれで良かったという思いが変わるわけではありません。
1999年の津田塾大学社会調査法の実習で、学生が「調査を終えて帰る頃には、日も落ち、あたりは真っ暗だった。団地の隅でたばこを吸う制服姿の高校生を見て、治安が悪いと聞いたのを思い出し不安に感じながら駅へ急いだ」(和田清美他『大都市における地域医療・看護・介護の理想と現実―東京都足立区セツルメント診療所50年のあゆみ―』こうち書房、2001年、p.94)という状況は参考になります。
その上で、警察を「暴力装置」と見ていたという要素も確かにあります。最近、仙谷由人官房長官の「暴力装置」発言が報道され、この点について気づかされました(仙石官房長官は2010年11月18日の参院予算委員会で「暴力装置でもある自衛隊」と発言したが、自民党の抗議で「実力組織と言い換える。自衛隊の皆さんには謝罪する」と発言を撤回・謝罪)。そして、運動に関わっていた学生が警察をこのように見ることに対応して、警察も、そのような学生を「暴力学生」、「ゲバ学生」と見ていたと思います。学生と警察のこのような関係は時代の産物でしょうが、今の学生にどれだけ分かるだろうか、という思いになります。弁明にならないように、注意しながら説明したいと思います。……
11月30日
UT:山田正行様『アイデンティティと時代』、拝読いたしました。率直に、時代を生きてこられた場面を描写されていて、感じ入りました。通常あのようにはなかなか書けないことと存じます。時代性が伝わってきます。手塚さんの小説風のものも〔手塚英男『酔十夢』全2巻、同時代社、2009年〕、なかなか味がありましたが、これはまた異なった味があると思いました。
山田:UT先生。拝復。ご丁寧なメールに感謝感激です。私は「反省」や「省察」が語られる前から、p.10で引用した、碓井先生の「……みずからの生き方を直視」する自己教育こそ、自分が取り組むべき研究だと思い、その中間的な総括として上梓しました。私はセツルの時から、未熟ながら漠然と理論と実践の統合、知行合一に努めようと考え、そして上記の自己教育論に出会いました。UT先生から直接ご指導はいただけなかったのですが、院生か助手の頃、社会教育学会の研究会で、先生が「公民館は自己教育の場であるべきだ」という趣旨の発言をされたことを、今、改めて思い起こしました。他の先生方がどのような発言をされていたのか全く忘れましたが、先生のご発言で、私は公民館の性格に気づかされました。議論の雰囲気も引き締まったように憶えています。あの時には何も言えませんでしたが、ここで思い出し、改めて感謝申しあげます。今後ともご指導ご鞭撻の程をお願いいたします。敬具。
12月10日
KY:山田先生、こんにちは。先生の著書、早速先月購入し、いつもバックに入れて持ち歩き読んでいるところです。
当時の思想等についての表現が出てくると、日頃頭を使っていないせいか、少し頭が混乱してしまい、前のページに戻るなどして、丁寧に読んでいます。まだ3章の途中です。
自分がお世話になった先生の若かりし頃の姿を想像しながら読み進めるのは、他の自伝などと違い、不思議な感覚があります。楽しみながら、続きを読ませていただきます。
山田:メールをありがとう。時代が違うと分かりにくいでしょうね。また、「先生」だった者の「学生」時代は、「不思議な感覚」を与えるでしょうね。もし、分かりにくければ、いつでも質問してください。説明します。なお、当時のセツルの仲間には一晩で読み終えた人もいます。時代や経験を共有しているのです。……
2011年元旦(年賀状)
TK: ……小説仕立ての方が、広がりがあってよかったのでは?と思いながら読ませていただきました。……
山田:そうでしょうが、私はやはり作家ではなく、研究者ですので……。面白いタネがたくさんありそうだからから、そうしろという声もあったのですが、そうなら、その才能のある方にノンフィクションでお願いしたいですね。いわば「ディープ」な葛飾が描かれることでしょう。しかし、私としては、リアリズムの小説ではなく、時代と交叉したアイデンティティ形成の自己分析論で書くのがふさわしいと自覚しています。
1月2日
YA:……楠木正行ね。なぞなぞ解けた。……海軍生き残りの○○さんは放送大の友達。……仙石の馬鹿野郎と言えるのは 山田先生みたいな経験をした方か、その上の年代だけ……ってな日本ですね! 取りあえず 今の日本おかしいよね!!!・・
山田:……小著を読んでくれてありがとう。……あなたの視野の広さと、頭の回転の速さはよくわかります。どうも、それぞれの繋がりが分からないのですが、ともあれ、海軍生き残りの方と友達だそうで、「まさつら」とも読むと教えた父の神風特攻隊精神の育て方の一端を紹介します。
私が自転車を与えられたのは小学校六年生の夏休みでした。それまで友達が乗っているのを見るだけで、自分も欲しいと言っても、与えられませんでした。うらやましいし、乗れないことに劣等感を抱いていました。しかし、中学生になると学校が遠くなるので自転車が必要だということで、やっと六年の夏休みに中古の自転車を与えられました。
当時、自転車を子供の遊びに使うことなど、父には考えられなかったのでしょう。中学への通学という、遊びではない理由ができて初めて、私に自転車を買い与えることにしたのでしょう。しかし、私に与えられた自転車は大人用で、いきなり乗りこなすのはとても困難でした。友達は子供用の自転車で、しかも補助車が付いているのから練習するのもいて、それで発達に合わせられたのですが、私はそうではありませんでした。
ところが、そのようなことは全くお構いなしで、父は、夏休みの早朝、私に大人用の自転車で練習をさせました。初めは全くだめです。それでも、少しずつ乗れるようになりましたが、しかし、これが同時に練習の辛さを倍増させました。少し進んでは自転車が転倒し、私は投げ出されて、これを繰り返しました。打ち身や擦り傷が至るところにできました。時には、道と田の間の溝に落ちて、泥だらけになりました。しかし、私に同情など全く見せず、続けさせました。
私は恨めしく思いましたが、それを言えば、怒られるのは必至で、ただ乗っては転倒するという練習を繰り返しました。泣きたくなりましたが、泣けばやはり怒られるので、こらえました。父はほとんど教えず、ただ私に「乗れ」というだけで、傍で見守るだけでした。そして、数日後に何とか乗れるようになりましたが、その時も、誉めたりしませんでした。ただし、こんなことはいつもなので、私の方も特に感じることなどありませんでした。
大人になって振りかえると、これは戦中に父が受けた訓練に倣ったものかと思います。そして、私は旧軍の根性の一端を習得できたのではないかと考えています。
なお、『巨人の星』(原作・梶原一騎、作画・川崎のぼる)や『空手バカ一代』(原作・梶原一騎、作画・つのだじろう・影丸譲也)のスポーツ根性漫画など、周りは熱心に読んでいましたが、私は関心が起きませんでした。その内容は自分の日常生活の延長のようで魅力なく、また一方で、いくら根性を出しても、できないものはできないので、誇張しすぎだと感じていたからでした。さらに、たとえ、できる者がいても、私はそこまでやりたくないと思っていました。
1月11日付書信
MY:……『アイデンティティと時代』を拝読しまして、大層感銘しました。人間は夫々トポス、つまり立場と考え方が独自にあり、それを如何なるものとも交換することは不可能です。先生の考え方がよく理解できました。……
山田:お手紙と原稿をありがとうございました。原稿に書き入れたコメントは、私の感想であり、あくまでもご参考にとどめてください。〔MY氏が書かれていた〕通信兵の訓練は、私の父も通信兵だったので、父を偲びながら拝読いたしました。父は水戸の航空隊で特攻隊の訓練も受けており、あと数日戦争が延びれば生きていなかったと聞きました。このことも重ね合わせて、MY様のご体験を拝読しました。とても貴重な記録という意味があり、是非とも広く読まれることを祈ります。
1月29日
IM:まず、先生の勇気に感服しました。学生時代のほろ苦い経験や貴重な体験を赤裸々に告白されているからです。後期の授業は、この本で進められたと聞いて、とても残念に思いました。また、さまざまな文献の紹介も嬉しいところです。
おやこ劇場は、私も子どもたちと入会していました。しかし、山田先生が活動されていた時よりも、後の世代だと思われます。劇場新聞の編集に参加したり、夏のキャンプにも行きました。おやこ劇場の活動のなかで、私が印象に残っていることがあります。かなり前(20年くらい?)の会議でのことですが、会員数を増やす、運営資金を云々というような場面だったと思います。新しい会員が、「あまり無理せず身の丈に合った活動をすればいい」という意見や、「しんどいことは、もうやりたくない」というような意見がありました。そのときに、古株の会員が、「私たちの活動は、こういうものだ。いつも少し上を向いて、アップアップしていかなければ、縮小するばかりだ」といいました。
私は変に納得しましたが、会は、その後、時間をかけて、世代交代が進み、少子化もあり、かなり縮小しています。実際に活動(会員の「拡大」など)は、楽になりましたが、緊張感はなく、「なかよしクラブ」のようになっていきました。これはこれで、和気あいあいと良いところもありましたが……
Mjさんのことは、よく授業でも「下町の肝っ玉おばさん」といわれていましたね。思い出しました。
さいごに、以前から、先生に質問しようと思いながら、出来ずにいたことがあります。それは、「弁証法」のことです。先生は、よくこの言葉を使われていました。修論の全体指導でもありました。私は、勉強不足もあり、意味がよくわかりませんでした。電子辞書(広辞苑)で見ると、色々書かれていますが、なかでも「……アリストテレスは、多くの人が認める前提からの推理を弁証法と呼び、学問的論証と区別した……」とあります。これと、先生の本から推測しますと、弁証法とは、学問的論証ではなく、実践に基づいた経験からの実証ということになるのでしょうか?
山田:IMさん。読んでくれてありがとう。感想も励ましです。あなたが実践したおやこ劇場について、20年前くらいなら、バブル期以後ですね。その前の1987年に亀有の学生セツルは消滅しました。また「なかよしクラブ」状態は、さらに十数年前の高校生パートで、私も体験していました。経済社会の発展で、余裕ができると休みたくなるのは人情で、責められませんが、発展による受益者である後の世代が、前の世代の苦労を忘れると、また後戻りします。受益者が「受益」を自覚しなければなりません。私は、現在の若者、学生にこの問題状況を見ています。アパシー(無関心)から引きこもりやニートの中にも、この側面があると危惧しています。
次に、弁証法ですが、事物を固定したものと捉えず、運動において生き生きとしたものと認識する方法論です。アリストテレスというより、ソクラテスの問答法(ダイアローグとディアレクティークは類縁)に引きつけて考えています。また、現実は一様ではなく、多様で矛盾を内包しており、その矛盾が運動、発展の契機、原動力(モメント)となっていることを説明する方法論です。
少し詩的な言えば、風は吹かなくなれば風ではない。人間は動いていなければ、人間ではなくなる(障害、難病、老衰などで身体が動けなくなっても、心が動いていればという意味)などなど。こんな捉え方はどうですか。……
2月7日
KN:山田先生、こんにちは。少し暖かさが感じられるようになってまいりましたね。今こちらは学期末テストの最中です。先生もたくさんの答案を抱えてお過ごしのことではないでしょうか。
前に送っていただきましたご著書、隅から隅まで、大変興味深く読ませていただきました。告白録のようにご自身に関する想起と、ご自身への分析がなされていましたので、センター試験の一日しかお目に掛かっていないにもかかわらず、随分以前からお知り合いだったように錯覚いたします。
先生がセツルに関心をお持ちで、そこに積極的に活動なさったことが書かれていましたが、その理由が最初はよくわかりませんでした。というのも、わたし自身はそのような社会的活動の価値をあまり理解しておらず、むしろ個人的な内省に終始する傾向が強かったからです。けれども、社会の変革というものを十分な希望をもってとらえていた当時の時代背景の影響が少からずあったのだろうという印象を強めました。
また、青年期に特徴的な不確かさからの戸惑い、遠慮や、両価的な気持ちが、遠慮なく描かれていたことは、自分自身のそのような時代とも重なり、色んなことを思い出す機会にもなりました。そして、出来事の展開のなかで、先生が、どのように感じ、考え、行動を選ばれるのかを楽しみにしながら読み進みました。
学生さんたちからの感想と、それに対する先生の応答文も、両者がお互いにあえて真正面から向き合って対話されている様子は、以前の学生さんと、現在の学生さんとの出会いとしても興味深かったです。
社会的なシステムのことや、あまり理解できない事柄もありましたが、ひとりの人が時とともに変化していくプロセスが正直に描かれていたことには誠実さと親しみも感じました。
ご研究に専念され、あるいは専念されたあとの記事についてはあまり詳細にお書きではありませんでしたが、きっとそこへたどり着くまでの、揺れる心に焦点をお当てになりたかったのかなと勝手に考えています。
僭越ながら、以上、多くの感想のうちの一部をお伝えさせていただきました。
……素敵なご本を読ませていただく機会をくださいまして、どうもありがとうございました。……もうすぐ春ですね。わたしはこの季節が大好きです。
新しい季節のいのちの力が多くの人の喜びとなりますように。山田先生のお働きにますます豊かな祝福がありますように。感謝。
山田:KN先生。小著をお読みいただき感謝です。ハレルヤ。……社会的な活動については、確かに分かりづらいでしょうね。現在の学生もそうかと思っていましたが、共感する学生もいて、中には親に隠してロック・バンドに打ち込み、彼女と別れてまで頑張ってきたというライフストーリーを五万字も書いた学生がいて、彼は小著を一気に読んだと言ってました。彼なりに受けとめてくれたと思っています。ともあれ、卒論や入試でご多忙の中ありがとうございました。栄光在主。
2月8日
KN:ご返信ありがとうございます。……内容についても、地域活動にそこまで心血を注げることがわたしには驚きで(たとえば、「拡大」には教会の伝道活動も重なりますが、あまり得意ではないのです……)、そのようなあまり馴染みのない背景であるにも拘らず、最後まで興味深く(楽しく)読ませていただけたことが逆に有り難かったです。
年度末にかけてのお忙しい日々も、神様のお支えのもと、豊かな毎日でありますようお祈りいたします。感謝。
山田:……教会、信仰に引きつけて読んでいただき、うれしいです。関連して、学生の中にはチーズとの再会と別れのところで(p.167)、彼女が就職でき、山田ができずに大学院に行ったから、引け目や嫉妬で別れたという解釈を出す者が数人いました。これは、就職難の世相の反映でしょうが、人はパンだけで生きるのではないという言葉を知らせたいですね。
また、私にとって信仰が必要なのは、「疑心暗鬼」のところで触れた共産党と公安警察の奥深い闇の繋がり(p.176以降。関連してp.106で掲げた宮本顕治批判の文献)があるとしたら、まことに絶望的であり、また、なければ、そのように考える自分が絶望的であり、いずれにせよ、この深い暗部から抜け出すには、人間の力だけでは不十分だと自覚するからです。……
2月11日
KA:私は『アイデンティティと時代』を読んで、自分の大学生活の活動を省みた。そして、教育活動のジレンマを感じた。
まず、以下の山田先生や他のセツラーの無力感や失敗談に注目した。
「しかし、当時は何も気づかず、何と答えていいのかも分からず、ただ頭を下げ、向きを変え、門を出た。そして、その後も何の進展もなく、自分の無力さを感じ続けただけだった。セツルを通して自分を変え、地域を変えようと考えるようになったが、すぐさま、地域どころか、一人の人間さえ助けられないことに直面した。」(p.31)
「私は未経験のため、悪ガキたちを全体のプログラムに合わせようとつい強圧的になり、うまくいかなかった。悪ガキたちも不満そうで、反省の多い体験だった。」(p.124)
「学生であることは罪で、自己否定し、それで大学に行かず、セツルのハウスで泊まり込んでいたのもいた」(p.44)
私はこの無力感こそが、学び続ける糧なのだろうと感じた。山田先生がセツルメント活動を通して、社会教育を学び続けたように、私も幾度となく無力さに直面し、その悔しさから学び続けたいと思っている。
私が大学一回生の頃、非行少年を対象としたサポート・ボランティアをしていた時、担当したのはごく普通の元気な小学2年生の男の子だった。しかし職員さんから話を聞いてみると、“その子は親のネグレクトによって、お腹が空いては万引きをし、行き場がないため公園にたむろしては、自分より小さな子をそそのかし万引きをさせていたそうである。サポートセンターに来ている間はとても無邪気な子なのに、学校では机を投げたりして、先生から目をつけられていた。家では電気を止められて真っ暗な部屋で小さな弟の世話をしながら親の帰りを待っていた”というものであった。
この話を職員さんから聞き、ドラマの世界でしか見たことがなかったような世界がこんなに身近にあるものなのか、と衝撃を受けた。私はとにかく、その子どもと会う時間に自分のできる精一杯のことをしようと、遊び道具を用意したり、達成感を感じてもらえるように、バスケットボールのドリブルが何回できたかなどを記録できる表を作ったり、いろいろと試行錯誤したが、その子は家庭の事情により来れなくなり、それから会うことはなかった。
「児童養護施設に入った方が幸せだと思うんだが、親が了承しなくて」と職員さんから現状を聞き、児童養護施設とは一体どのような所なんだろう、幸せになれるような所なのだろうか、と思ったことが、児童養護施設でアルバイトをするきっかけであった。
しかし、私はその施設でも、自分の無力さに直面する連続であった。施設の中学生のほとんどが学校の定期テストで5教科合計100点にも満たない状態で、私がとても分かりやすく勉強を教えられればいいのだが、なかなかうまくいかず、また、教える以前に、特に中学生には、夜の見回りに行く度に鬱陶しがられる始末で、信頼関係を築くことも難しかった。
私が学生ではなく、職員で、子どもが抱える困難の背景を知り、毎日一緒に生活を共にすることができたなら…と何度も思った。しかし、そうなったところで、私は子どもに何かできる自信がない。子どもの進路の幅を広げられるように、何か一つでも自分の武器がほしいのだ。
おそらく私の中で、自分が中学時代不登校で、内申点がないためにいくら人より努力しようとも進路を限定せざるを得なかった体験、その悔しさをバネにしつつも大学受験に二度失敗したことがコンプレックスとなっていて、格差の中にいる子ども達に重ね合わせ、私は大人になっても、この状況を何ともできないのか、と自己嫌悪に陥るのである。もちろん、ただ格差によるものではなく、自分が弱かったのも悪いのであり、私は家族の全面的なバックアップがあったからここまでこれたことは分かっている。ところが、この家族の庇護が得られない子ども達は、ほかの大人がバックアップしていかなければならないのに、その大人は何と無力であるのか。
その点、p.42で、「彼は私とよく話して、下北沢の下宿に泊まりに来たこともあった」とあり、元は他人であるのにここまで関係を作れることは羨ましいと思った。しかし、それは学生の運営だからできることなのだろうと思う。団体の子どもに関わるボランティアやアルバイトでは、連絡先など個人情報は明かすことはしないだろう。それはボランティアに負担がかかりすぎないようにすることや、団体の管理下以外で問題が発生することを避けるためなど考えられる。
山田先生がセツルメント活動をする中で「退廃」だと疑いをかけられたことを考えると(p.156)、やはり親密すぎる関係は危険が伴う。何かを提供する側として、たとえそれが利益を得る目的でなかったとしても責任はあり、極力トラブルを引き起こすようなことは避けねばならない。
かといって、かつてセツラーが「コンドーさん」と呼ばれていたように(p.44)、自分の都合のいいときにだけ来て、去ってしまうような希薄な関係では信頼は得られない。
卒論研究で「こどもの里」ワークキャンプに参加した際、夜の勉強会で、労働者運動の話を聞いた。日雇い労働者達が結束して、行政に抗議したという話であったが、私はそこでフレイレの被抑圧者に知識を授ける教育者のことを思い出し、労働者と行政の間に立ってくれたり、知識を授けてくれるような方はいなかったのかと質問した。返ってきた答えは、「大学の教授が研究のために来たりはするが、全く頼りにならない」であった。では、マスコミなどはどうか。労働者の現実を報道すれば世間にも事態の深刻さが伝わるのでは、と思い質問したが、「マスコミは警察から圧力がかかるから都合の悪いことは書かない」とのことだった。彼らが信用できるのは同じ状況下で戦う仲間達であり、自分の都合を最優先に考え熱心に闘う気のない人間は信用できないのだ。
このように、誰かを支援していきたい、と思っても、一体どこまで踏み込んでいいのか、一線を置くべきなのか、加減が難しい。山田先生は、……女性関係にきちんと一線を引いていたことは正しいと思う。関係を持てば、多くの人の信頼を失ってしまうことになる。「退廃」が濡れ衣であっても撤回ができなかったように、その一線はとてつもなく重大なものなのだ。教育活動のジレンマはあるが、それに縛られすぎることなく、どのように活動していくか。私自身、これから模索していきたいと思う。
最後に、余談ではあるが、少し気になった部分があるので書いておく。
p.57で、「ブレザー姿で自治会活動をしていた真面目な学生が、本郷に進んだ後に麻雀に熱中し、自治会活動も勉学も手に付かなくなったということを聞いた」という記述があったが、最近、友人のバックパッカーから、こんな話を聞いた。
○○大学の△△寮は部外者でも200円で泊まれると聞いた。寮は学生の自治会によって運営されており、寮生は麻雀やゲームに明け暮れ、留年する者が多いそうである。畳は腐り、布団もくたびれ、インドや中東を旅したバックパッカーの彼でさえも、ここが一番ひどいと言っていた。娯楽に明け暮れると、生活する場所はどうでもよくなってしまうものだろうか。いつの時代も誘惑は多く、気をつけなければならないと思った。
山田:……自分の実践に引きつけて率直に書かれていて、とてもいいです。ただ、惜しくて悔やまれるのは、もう卒業だということで、何でもっと早く!ということです。
ともあれ、文中で「大学の教授が研究のために来たりはするが、全く頼りにならない」ということは、私の学生時代から聞いてきたことです。私はそうならないようにアウシュヴィッツや南京などの平和のための実践に努めています。労働運動では「哀しみの南京」大阪公演(2010年)でボランティアとなってくれた人達の中にはJR西日本の組合員がたくさんいました。それぞれの場で、どのように努力するか。それがどのように結びつくか。課題は多いです。
2月14日
KT:……何とも言えませんが、いろいろと考えさせられました。そして、大阪での新日和見主義批判について思い出しました。当時の民青委員長は、公安のスパイで、自分を批判するビラを張り出すように指示するなどして、かなり混乱させられました。……
山田:……やり口がえげつないですな。大阪は運動が発展していましたから、それだけやられたのでしょうね。……
3月14日
KG:……大変ご無沙汰しています。『アイデンティティと時代』読ませていただきました。ずいぶん前に読んでいたのですが、いろいろと忙しくなってしまっていてなかなか返事を書けませんでした。エジプト革命や地震で大変な情勢になっていますが、ちょっと時間ができたので、メールします。
ぼくはセツルメント運動について、まったく知識がなかったので知りたくて、また最近江戸川区で暮らして、JR高崎線の沿線にビラまきなどにも行くことがあるので、非常に興味深く読ませていただきました。
当時の状況はよく分かっていませんが、国際的な70年闘争の爆発を何とか乗り切った資本主義が、ベトナム敗戦、74−75年恐慌を迎え、新自由主義に転換していく過程で、いったん高揚した学生運動、労働運動、社会運動が、革命的左翼においてはカクマルとの内戦に突入し、一切の革命的高揚を社会党・共産党が体制内的に簒奪・圧殺していく過程だったのではないかと思いました。
セツルメント運動も大きくは、資本主義が生み出した矛盾に対する変革的意味では、革命の裾野を形成する意味があるのであって、70年の革命的激動がさらに情勢を押し開いていたとすれば、そこと結びついていく可能性があったのだと思います。しかし共産党は明らかにそういう革命的可能性をつぶす目的意識性をもってこの運動を主導していたように思われます。
資本主義は革命の時代であるが故に、あらゆる社会運動が革命と反革命の荒波に左右されるということなのでしょうか。当時のいろんな場面のいろんな人々の姿の描写は非常に興味深かったです。
京都にいる叔母に最近会ったので、山田先生の本のことをしゃべりました。叔母は非常に鷹派の叔父(京大の中西輝正グループ)の連れ合いなんですが、彼女自身は東京教育大でセツルメント運動の周辺にいたのだといって、懐かしそうに、ちょっと照れながら裁判に傍聴に行ったとか言うことを話してくれました。
あの時代が何だったのかは、再び革命的な激動期に突入している現在においても非常に貴重な教訓を残すものだと思います。山田先生の非常に真摯な当時の描写はそういう意味で貴重な作業であると思い、感服いたしました。
読んでいろいろ思ったこともあって書くべきなのですが、かなり前に読んでしまったので、すぐにちょっと思い出せません。申し訳ありません。
とまれ、お元気な山田先生の姿が目に浮かぶようなご活動に触れられて嬉しいです。お礼のしるしにもならないのですが、以前紹介した『最前線』を進呈させていただきます。メール便で送りますので、良かったら是非ご一読お願いします。とうじ革命をめざして職場で全力で合理化と闘った労働運動というのは世界的にもなかったのではないかと思います。多くはその後のカクマルとの戦争で撤退を余儀なくされましたが、これが現在の動労千葉の原型を作ったのだと思います。ではまた!
山田:KGさん。丁寧にありがとう。当時でも議論していましたが、革命運動と大衆運動と大きく分けた場合(分けてはいけないと思いますが、とりあえず)、私は大衆運動に性が合っていると思います。そこに私の甘さがあるとも自覚しており、あなたやKDさんに敬服する次第です。……歴史を創造し、歴史の検証に耐える活動を期待します。ますますのご活躍を祈ります。
5月19日
IM:……読みました。中にはいらんこと書いているように思いましたが、活動を振りかえると、男と女の関係はいつでも絡みあっていることに気づかされました。……
山田:……私がフロイトやエリクソンを研究してきた理由は、そこにもあります。どの実践でも、男と女(さらにはトランスジェンダー、トランスセクシュアルもあるでしょう)の関係が絡みあっていると繰り返し再確認させられてきました。……
また、サークル活動においても、この問題は重要です。サークルが発展し、人間関係が強まるに伴い親密性が増せす中で、欲望(性欲)の充足に走る者が現れると、人間関係がかき乱され、サークルも悪影響を受けます。ですから、『アイデンティティと時代』で書いた私の踏み止まった経験は、今でもよかったと思っていますし、だからこそ書けたのでした。一線を踏み越えていれば、書けません。
このような意味で、バブルで欲望が膨張し、さらに、その後遺症に爛熟や退廃が加わり「ブルセラ」や「援助交際」などが話題になる状況にいて(『朝日新聞』1996年11月27日夕刊で宮台真司は「援助交際」を「多元的な自尊心」、「異議申し立て」という表現で修飾していた)、セツルメントに限らず青年学生運動全般が衰退したのは、当然の帰結と思われるのです。逆に言えば、道徳倫理的な規範が緩みすぎると、かえって青年学生運動が難しくなるということでしょうか。
5月21日
UT:……下町のいわゆる子どもが「やまっさぁん、そりゃないっすよぉ」と言っていた(p.88)のと同じような言い方を、私も聞きました。……懐かしく読みました。……
山田:……他にも「しぶいっすよぉ、やまっさぁん」という表現もありました。辛い程ではなく、「たまらねぇな」くらいの語感でした。渋茶の味わいも分からない子供たちでしたが、人生の渋みは既に体験していたのでしょうか。……
5月24日
HY:……読んでいて「中原中也」が出てきました(p.126)。私も好きですが、山田さんがなぜ魅力を感じないのか、よく分かりません……
山田:……中原中也の有名な帽子をかぶった顔写真は、かわいい感じですね。私は小さい頃から、写真で見る自分はかわいくないと思っていました。これはずっと続いて今に至っており、私のコンプレクスの一つでしょう。それで反発したという側面はあるかもしれません。あるいは、そのような分析は可能でしょう。
また、やはり有名な「汚れっちまった悲しみに」という詩句は、情けないやつだなという印象です。つまり、かわいがられた甘ったれが悲しんでいても、同情などできないという感じです。もちろん、これは読み方の一つで、あなたは違うのでしょう。
なお、「査問」と「離脱」の後では「汚れっちまった悲しみに」に少しは共感するようになりましたが、子供や高校生たちを裏切り、失望させた思いはもっと強く、「汚しちまった悲しみに」と、加害の能動性を抱いています。
10月14日
MM:……同書は先生の自叙伝ではなく、自らを対象にした自己分析の試みであり、その内容を踏まえて諸々の読めば、もっと深い理解ができるだろうと思い、……改めて身を引き締めて学問に取り組もうと自戒している処です。……
山田:……私こそ、学兄が在野で学問に取り組んでいる姿に刺激され、啓発されています。今後ともお互いに切磋琢磨して、研鑽に努めましょう。……
