イタリアに「人民の家」(casa del popolo)と呼ばれる建物があるということを知ったのは今から25年前である。イタリアの反ファシズム運動や地域民主主義運動に興味をもってイタリアを訪れる人々ならば一度は必ず訪問する施設であり、私も社会教育推進全国協議会のヨーロッパ視察旅行でイタリアに滞在した折り、初めて人民の家に出会った。
人民の家はイタリア中部地方に広く普及しており、北部にもかなり建設されているが、南部には少ない。19世紀の末から20世紀初頭にかけて相互扶助協会とかサークル(circolo)という名称で労働者や社会改良家の共同出資で普及しはじめ、一定の地域範囲の民衆の共同設置・共同運営施設として民法上の法人格を認められるようになった。人民の家の連合体として1950年代に結成されたイタリア文化レクレーション協会(ARCI)のフィレンツェ県支部施設一覧には合計288の人民の家名簿が掲載されている。実に多くの施設が自力で建設され、自力で維持されていることに驚かされる。イタリア社会運動の歴史においては労働組合・協同組合・人民の家は三つの古典的なアソシエーションの潮流をなしており、特に人民の家は狭い範囲の地域ごとに基盤を置く生活文化的施設であって、施設経営問題が軸となっているという点で、他の組織とは異なる特色を持っている。
労働組合や協同組合は多くの国に共通に普及をみているが、人民の家は全くイタリア独自の存在であり、いつ訪問してもイタリア民衆の素顔や日常的な生活の様子がかいまみられて興味深い。イタリアはカトリックの国なのにどうして社会主義的な政党の勢力が最大多数を占めるような地域が数多いのだろうか、イタリア人は職域ではなく地域社会ではどのように社会参加しているのだろうか、イタリアの民衆文化はどんな人たちが担っているのだろうか。そんな問題に関心をもって人民の家を訪れると多くの発見がある。要するに人民の家はある種のユートピアを共有する人たちが創りだした「コミュナル(共同)的な生活拠点」であり、ファシズム期にはムッソリーニ政権の地域支配に組み込まれながらも、反ファシズム運動の抵抗拠点となって自立性を取り戻し、現代にいたるまで民衆連帯のよりどころとして生き続けている施設なのである。
共同出資で文字どおり労働奉仕に支えられて建設された建物であるが、日本で考えられる公民館などに比べて非常に規模が大きい。たとえばフィレンツェ市内の、昔は農村部だった場所にある「4月25日」(イタリア解放記念にちなむ名前)という人民の家は、かつての大地主の家屋・敷地をそのまま改造した施設である。経営の最大の収入源になっている大きなレストランは16世紀当時の建物を使っており、クラシックな雰囲気をもっていて本格的なイタリア料理が楽しめる。テニスコートが3面あり、100名収容のホールもある。もちろんバールは一年中、人々のたまり場である。また最近トレーニング器具を多種備えたジムが整備され、柔道やソーシャルダンスの講習会も開かれている。
通常、組織は一員として入るものという意識がつきまとうが、人民の家はみんなで維持し、みんなで利用しなくてはなりたたない。数千億円の財政規模をもつ場合も多く、出資会員は5百人から2千人位、総会で運営委員会を選出して共同運営している。年間数万人の利用、経営を支える多様な事業、数多くの文化・スポーツサークルの支援、そして地域に政治的社会的問題が生じれば、様々な学習活動や行動が展開される。現在は環境問題、高齢化問題、青年の逸脱行動の問題、国際連帯などの取り組みが活発である。
社会教育研究を専門とする筆者にとって人民の家が興味深いのは、70年代から80年代にかけて地域生活への関心が衰退し、目的別機能集団として演劇や音楽、環境団体や子ども組織などがそれぞれ自立的に発展するかにみえたのに、90年代にはいってもう一度「地域」を単位とする総合的な活動を支える人民の家の重要性が再認識されてきていることである。停滞している人民の家と発展している人民の家に二極分解している面もあるが、建物の増改築をしてより多目的の現代的機能を備えた施設も多い。行政サービスに解消されない自立的な生活拠点が現代社会においてなぜ必要なのか、食べること、楽しむこと、社会生活を営むことを共有することによって人々が何を学んでいるのか、じっくり見極めてみたい問題である。
(東京大学大学院教授・教育学研究科)