【患者が主役という思想】 飯塚眞之(ジャーナリスト)

 端的に、「患者が主役」という言葉に出合ったのは1990年2月、米国東海岸のホスピス視察研修に出かけた時だった。

 2月のワシントンは抜けるように晴れ上がって、到着直後に訪ねたボトマック河畔では、まぶしい日差しの透明な大気のなかを、ジョギングを楽しむ男女がゆっくりと走っていたりした。ホワイトハウス前の芝生のなかを、長い尾を引いたリスが素早く、滑るように見え隠れしている風景も珍しかった。言ってみれば、何もかも珍しかった

 その後、サンフランシスコやサンディエゴ、ポートランドなどの西海岸や、ニューヨークからロチェスターのメイヨークリニックなどを訪ねることになったが、この最初の「ワシントン―ニューヨーク・ホスピスの旅」が、私のホスピス理解の原点となった。その感想は、いっしょに訪問した医師や看護婦らの共通する気持ちでもあった。みんなカルチャーショックを受け、高揚していた。

 わずか7年前のことだが、当時はまだ「ホスピス運動」などという言葉は、一般に馴染みのない時期だった。

 ワシントンに到着した夜、ホテルで全米ホスピス協会副会長アイラ・ベイツ氏のレクチャーを受けた。ここで総括的に語られたホスピス運動の「いろは」こそ、その後の私たちを「ホスピスへの旅」に駆り立ててやまない刺激的なものであった。

 そのレクチャーでベイツ氏は「患者が主役」と語ったのだった。同時に彼は、ホスピス理念を象徴する次のような「四つ約束」を示した。私は帰国直後に書いた新聞記事や、その後まとめたアメリカ・ホスピス運動についての本などでこのことに触れている。

 1、あなたを独りぼっちで死なせない。

 2、あなたを痛みや苦痛のなかに放置しない。

 3、主役はあなただ。あなたは希望するように最後の時を生き、希望する場所で、死を迎えることができる。

 4、家族や親しかった人たちに別れを告げる(say goodbye)環境をつくる。

 その後この旅のさまざまな場面で、様々な形で、同じ理念に出合うことになった。

 例えば旅の最後に訪ねたバージニア州ヘッドウォータズのエリザベス・キューブラー・ロス・センターで、著名な死生学者で精神科医のキューブラー・ロス博士と会ったが、彼女はその熱っぽいレクチャーを次のような言葉で始めている。

 「時々変なことを言いますから笑ってください。今日は死ぬことについて話します。私たちは死に逝く人たちから学びました」

 「私たちはみんな死ぬのです。私もあなたも。それなのにそのことを知る準備をしなければ、いつまでも死は恐ろしいタブーであり、痛みと怒りと悲しみばかりです」

 「死は敵ではありません。孤独な死、独りぼっちの死、そうした不人情こそ敵なのです。ホスピスは、患者さんたちをそうした不人情から守る方法なのです」

 1960年代に英国で誕生した現代ホスピス運動は、70年代に米国に渡って急速に発展するが、78年に設立された全米ホスピス協会はホスピス運動についての「25の基準」をつくった。その基準の「哲学」の項にはこう書かれている。

 「ホスピスは不治の病で終末を迎えた人たちに、支援と介護を提供する。それによって、できるだけ患者の人生を充実した快適なものにするホスピスは死に逝くことを、生きていることの正常な過程のひとつと認め、残りの人生の質(quality of life, QOL)」の維持につとめる。ホスピスは生を肯定して、死を早めたり遅らせたりはしない。ホスピスは希望と信頼の上に成り立つ(略)」

 こうしたホスピス運動の理念は、私たちに何を問いかけているのだろうか。

 アイラ・ベイツ氏の語る「4つの約束」、エリザベス・キューブラー・ロス博士の言う「死は敵ではない」という認識、全米ホスピス協会の「基準」が示す「死は、生の正常なプロセスのなかに包含されている」という哲学、それは、従来の医学が医療の敗北として嫌った死をいのちの自然過程と認識して、死を包含したいのちこそ人間存在の自然の姿であり、尊厳を持った全体なのだと位置付けている。

 医療の高度の発展のなかで、医師たちは多くの難しい病から患者たちを救ってきたが、同時に患者を人間として見る前にひとつの病としてとらえてしまい、患者の全人的な価値やQOLを見落して、皮肉にも、医療の発展が患者の人権への配慮を忘れさせる結果になった。

 そうした風潮に対して米国では、1960年代、ベトナム戦争をはさんで起きた反戦運動や公民権運動、とりわけ消費者運動などの意識革命を経て、患者の人権のテーマがクローズアップされていった。

 患者の「自己決定」が重視され、医事裁判などを通してインフォームド・コンセント(説明と自発的な同意)や告知(telling the truth)、コミュニケーション重視の理念が確立されて、90年には、自己決定法(Self-determination Acts)まで制定されている。

 いまや患者は、自身の病気はもちろん、厳しい運命についても正確な知識を得て、医師ら医療関係者と真実を共有しながら闘病する時代になった。そうすることで初めて、患者の人権や尊厳は保たれる。死と直面する最も厳しい医療現場であるホスピスで、「患者が主役」の思想がいち早く確立したのは、当然の成り行きだった。

 しかもその先端的な医療現場のホスピスが、同時に、社会の民主主義のレベルを示すリトマス試験紙のように見えてくるのも興味深い現象だった。その後、ヨーロッパやオセアニア、カナダなどのホスピス現場を歩いて、その思いは一層深まっていった。

 かねてから、もう一度英国ホスピスを見たいとの思いにかられていた私は、知り合いのジャーナリストや医師たちと相談して97年9月に、英国ホスピス訪問の旅を企画した。

 スコットランドから南に向かって、途中、アイルランドのダブリンにも立ち寄りロンドンに至る、駆け足の旅だった。そして、ともに民主主義の歴史を代表しながら、米国とはまったく異なる長く複雑な歴史を持った国、現代ホスピス運動を生んだこの国の地道な活動のなかに、「患者が主役」の理念は確実に貫徹されている、と感じることができた。

 澄みきった青空にそびえるエジンバラ城の見事な容姿、明るいダブリン市の雑踏や緑濃い原野、そうした風景の周辺に点在して、地道な介護に専念するそれぞれのホスピスを訪ねて、いのちの営み・尊厳への畏敬を、改めて確認した旅となった。