【家族計画と動物たち】 中川志郎

 

 「少子化が問題だ、などと騒いでいる人がいますけれど、なにが問題なんですかね? 少子化、結構じゃないですか。それに地球規模でみれば、ちっとも少子化何ぞではなくて、それこそ人口爆発ですよ」

 101歳になる加藤シズエ女史は、ベッドから身を起こすようにしながら、驚くほどはっきりした口調でおっしゃった。

 わたしが、この 九「動物の保護及び管理に関する法律」(昭和48)の成立に深く係わった一人でもある。

 この7月、私が図らずも(財)日本動物愛護協会の理事長に選任されたのを機会に、お見舞いがてら挨拶にうかがったのだ。

 昨年、足を骨折されてリハビリの最中なのでベッドにおられるけれど、その論調はいささかも衰えていない。

 「大体、人間というものは、節度ということを忘れてしまったのではないですか。地球上の生き物はみんなそれぞれに節度を守っているからこそ、多くの種類がそれぞれに生きていけるんだと思いますよ。

 少子化が問題だなんて、考え方が狭すぎると思いませんか。自分の国だけの事を考えるから、国の利益だとか、国力だとか国勢だとかの考えかたになるんです。

 今は、そんな事をいっている場合じゃないでしょう。物事の判断はエコロジカルに、そしてグローバルでなされるべきではないですか」

 女史は、そういって真っ直ぐに私をみた。

 実は、かねてから私の胸の中にあった一つの疑問、女史のライフワークである家族計画運動と動物愛護運動がどう結びつくのか、をこの機会にじかに女史に伺ったのだ。

 女史が若くしてアメリカに渡り、そこで産児調節運動の活動家・マーガレット・サンガーに出会い傾倒したことはよく知られているが、このことと動物愛護との結びつきがどうなるのか、私の中でずっとくすぶっていたからである。

 答えは私の想像していた以上に明快だった。

 「そう、この地球上の生き物はみんな繋がっているということでしょうか。どんな動物であれ独りでは生きられません。人間もまた同じ生き物です。人間だけが好き勝手をして良いはずがありませんものね。必要なのは、グローバルな視点で物を見、エコロジカルな発想をするということでしょう。

 もっと簡単にいうなら、先程も触れましたように、人間、万事、生き物としての節度を守るということにつきるでしょう。

 そう、家族計画は確かに人間の社会生活のなかで、生活の問題として登場したものだけれど、その延長線上には、他の生物たちとの関わりがはっきりとあり、そのことが女史を動物愛護という世界にいざなってやまなかったのである。

 それにしても、これほどの洞察眼をもってものを見、先端的な科学を理解する人が、明治30年(1897)3月2日生まれ、当年とって101歳というのだかれ凄い。

 女史がどのようにしてこの考え方に到達したのかは知る由もないけれど、これは紛れもなく、一九八九年に川那部浩哉博士らによって提唱され、今や生物学者仲間の共通認識になりつつある「地球共生系」の考え方といってよいであろう。

 それは、いまから約6億年前にこの地球上に現れた生物が栄枯盛衰を繰り返しながらも多様な分化をとげ、現在3千万種とも5千万種ともいわれるほどの多様性を獲得するに至っているが、このことは、地球上の環境が生物との相互作用のなかで作り上げられ、共に進化を遂げてきたからにほかならないという考え方である。

 これは「多くの生物の種が、同じ所に住めるのはどうしてか」という問いにたいする一つの答えであり、その基本は、生物は競争よりも共に在ることをめざして進化してきた結果である、ということになろう。学術的にいうなら「地球共生系;多種共存を促進する相互作用機構」(1989、川那部)である。

 しかし、現在、生活している生き物たちの一断面を切り取ってみると、必ずしもこの原理が当てはまらないように見えるのも事実である。オオカミがシカを襲い、キツネがノウサギを食べ、ライオンがシマウマを殺すのを見れば「共存」というには厳しい現実だからだ。事実、ある種の絶滅の恐れある動物種を守るために、その天敵と見なされた種を駆除することも行われてきている。

 だが、このような試みは多くの場合、失敗に終わっている。アラスカ・カイバブ高原のオグロジカが絶滅に瀕したとき、その天敵であるオオカミ、プーマが徹底的に狩られ、一時的に確かにシカの個体数を回復したけれど、年を経ずして今度はシカたちがそこの植生を破壊し、逆に自らを絶滅に追い込んでしまったのである。

 近視眼的に見れば、確かに天敵は「悪」だけれど、ながい目でみれば、むしろ、「善」として機能していると言えよう。

 いま、日本全国で問題になっているホンシュウシカ、エゾシカのオーバーポピュレーションのことも、ニホンオオカミの絶滅と無縁ではないであろう。本来、これらの動物たちは、そのながい進化のなかで、天敵に食われることを「勘定にいれて」産む数を決めているからである。ネズミ類などが多産なのは、それだけ天敵が多いからであり、天敵の少ない大型動物が少産少子なのは、それで種を維持することgふぁ可能だからである。

 子どもの数は、長い長い進化のプロセスの中で「地球共生系」のバランスのなかで決められているのだ。

 ヒトという動物は、この共生系界の異端児である。自らの意思と力でポピュレーション・コントロールの枠をことごとく外してしまったのだ。それでなければ、旧石器時代、わずかに3百万人から5百万人と推定される地球人口が、ここ1万年足らずで50億をこえ、現在でさえその勢いは留まることがないという現象は説明できない。

 このままで経過すれば、行く先は目に見えている。しかも、ヒトのみならず沢山の他の生き物たちを道連れにする公算が大だ。

 ヒトは今、自ら外した枠を新たに作りなおす瀬戸際に立たされている。

 加藤シズエ女史の言葉のひとつひとつが、いま、胸にひびく。