「西日本新聞」「熊本日日新聞」で『日本で初めて労働組合をつくった男』が紹介
「西日本新聞」で『日本で初めて労働組合をつくった男 評伝・城常太郎』が紹介されました。
また、「熊本日日新聞」(2015年9月27日付)書評欄でも紹介されました。
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2015/09/27付 西日本新聞朝刊
『日本で初めて労働組合をつくった男 評伝・城常太郎』牧民雄 著 (同時代社)
明治時代、黎明(れいめい)期の労働運動にあらん限りの情熱を傾け、この国の労働組合運動の礎石を築いた男がいた。熊本出身の靴職人・城常太郎(じょうつねたろう)(1863-1905)。本書は、その人生と業績を執念ともいえる史料探索から描く一冊だ。
それにしても、常太郎の人生はなんとダイナミックなことか。
今の熊本市に生まれたが早くに父を失い、苦労して靴工となる。23歳で長崎で靴の製造販売を始めたが、明治21年、25歳の時に『国民之友』で米国の中国人靴工の記事を読み、単身渡米。皿洗いなどを経てサンフランシスコで地下室を借り、日本人初の靴屋を始める。日本から靴職人を呼び寄せて工場での製造も行うが、現地の「白人靴工労働同盟」による激しい日本人バッシングも受ける…。
労働運動への関心は、日本の靴工の劣悪な労働条件から芽生えたようだ。そしてその関心は、欧米諸国の労働問題を研究し、日本で新たな労働運動を構築していく方向へ昇華されていく。
事実、渡米中に高野房太郎らと、日本の労働問題解決を目指す「労働義友会(職工義友会)」を創設し、東京支部も開設。32歳で帰国し、翌年には日本初の労働問題演説会を開催して開会の辞を述べ、日本の労働運動の出発点とされる「労働組合期成会」の結成にも参画する。
本書は、その後、常太郎が暴徒に襲われ、肺結核に冒されながらも、東京、横浜、神戸、大阪に駆けつけて労働者を励まし、情熱的に労働運動を指導していった足跡をたどっている。
著者は大分市出身で、常太郎のひ孫。慶応大在学中に近代労働史の講義で、城常太郎の名前を耳にし、自分の母方の曽祖父だと知った驚きが研究の発端と記す。以来45年、在野の研究者として全国各地の図書館を訪ね、先学の研究や当時の新聞・雑誌を片っ端から渉猟した。2006年刊行の前著に、新しく発掘した史料、新事実を加え、明治期の労働運動史を概観する一冊ともなっている。
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