『名作百年の謎を解く』書評掲載(「図書新聞」2016年4月2日号)

『名作百年の謎を解く』の書評が「図書新聞」(16年4月2日号)に掲載されました。

評者:山下多恵子氏(国際啄木学会理事)

《「文学の探偵」、面目躍如》

「本書は、「たけくらべ」「羅生門」「山月記」といった、すでに古典としての地位を確立した作品に、新たな読み方を提示する画期的な書物である。「芸術作品は人間の〈生命〉の側に立つ」(「まえがき」)という、簡明にして奥深い確信とともに、二人の著者(上杉省和・近藤典彦)は表現の領野に切り込んでいく。

最初から順に読む必要はない。いちばん関心の赴く、あるいは思い入れのある作品から読んでいけばいい。一つの解釈にとらわれていた文学観が揺さぶられるのを、読者は感じることだろう。――〈中略〉――

今なお尽きない謎が、好奇心を刺激する芥川龍之介の小編「藪の中」の深層に、諸説の検討と文学的想像力によって迫る「虚構の背後に」(上杉)。

今まで「藪の中」に一人残された哀れな夫・武弘は、芥川その人であるとされてきた。だが上杉氏は、女を犯しその夫を殺した罪人・多襄丸にこそ、芥川の自己投影が見られるという。氏の明晰な推理と、引用される芥川の遺稿「闇中問答」を読むと、ある一つの「真実」が浮かび上がってくるかのようだ。もちろんそれも、一つの解釈にすぎないと、言えないこともない。だが芥川の心理に肉薄し、「藪の中」に秘められたものを考察する手法は、抑制の利いた優れたものだ。この書の特徴でもあるが、「もう一度この小説を読みたい」「自分なりの解釈を考えてみたい」という気持ちにさせられる。

同じく芥川の「羅生門」の核心に、幸徳秋水『帝国主義』『社会主義神髄』の影響があることを発見した「幸徳秋水二著の衝撃」(近藤)。

氏は芥川の精神形成に、彼の実家で働いていた社会主義者・久板卯之助が深く関わったことを指摘する。芥川の少年時代に書かれた文章を丹念に読み解いていくと、そこには久板の思想、そして幸徳・堺枯川による「平民新聞」の思想的影響が克明に記されていた。「日光小品」「義仲論」にある貧民への同情、そして「革命の暁鐘」の待望は、今まで見落とされてきたものではなかったか。近藤氏はさらに次のように推定する、「「革命の先動者」義仲に比定されている「昭代の」「革命の先動者」は秋水・枯川であり、一人に絞るなら幸徳秋水であろう」と。

本稿を書く前は、著者みずから「芥川龍之介と幸徳秋水、そんな取り合わせがありうるのだろうか」と訝ったという。読者である私たちも、おなじ疑いに襲われる。だが読んでいくうちに、芥川と幸徳という二つの精神が、知られざる場所で確かに邂逅していたのだと信じられた。「吾人の前途は唯黒闇々たる地獄あるのみ」「外には、唯、黒洞々たる夜があるばかりである」――『帝国主義』と「羅生門」の結びにある一文を、氏は引用する。これは決して偶然の類似ではなかった。実証主義精神と、文学的想像力との幸福な結婚をここに見る。極めてスリリングな論証は、「読むこと」の本来的な愉しみを思い出させてくれる。――《後略》」

シェアする
このエントリーをはてなブックマークに追加