書 評



『潜入盗測:外邦測量・村上手帳の研究』を読む

山田正行


  
1.はじめに

 牛越国昭(李国昭)氏の『潜入盗測:外邦測量・村上手帳の研究』(同時代社)を手にしたとき、その第一印象は「?!」だった。次は「これはとても読みきれない」だった。私は確かに日本現代史の戦争を研究しているが、ここまで範囲を広げていない。
 まずサブタイトルの「第一編・『外邦図』はどのように作られたか」から、内容は地図が中心になっていると思った。実際、初めから地図が16頁も収録されていた。そして、本文で432頁、年表で10頁という分厚さに圧倒された。ところが、私は地図を専門にしていない。だから「これはとても読みきれない」と感じたのである。
 それでも、著書の名前に注目した。私は2003年まで秋田大学に在職し、牛越(李)さんにはお世話になった。ただし、その時は花岡事件が中心で、「外邦図」は全く聞いていなかった。だから「?!」となったわけである。  このようなわけで圧倒されながらも本書を読んでみようと考えた。本書は、測量手の村上千代吉が残した手帳(日記)を契機に「外邦図(外国の地図)」の側面から大日本帝国の侵略と拡大を研究した労作である。第1章「日本の近現代地図政策の特徴」、第2章「参謀本部将校派遣制度と朝鮮・中国の軍用地図」、第3章「「『外邦図』―侵略戦争のための対外軍用秘密地図」、第4章「臨時測図部創設の意義―外邦測量の本格展開」、第5章「甲午日中戦争臨時測図部による測図活動」、第6章「甲午日中・日露戦間期の秘密測量」、第7章「日露戦争と臨時測図部の活動」、第8章「臨時測図部の1907年新編成」、第9章「07年体制の破綻と完全な潜入秘密測量体制への移行」と、明治期から始まった中国・朝鮮におけるスパイ・諜報活動、秘密測量が1874年の台湾侵攻、94年から95年までの甲午中日戦争(日清戦争)、1904年から05年までの日露戦争などに関連させて詳述されている。
 地図の正確さは戦闘において「地の利」を得るための重要な条件である。そして、侵略する日本軍は不案内な異国で、地形に明るい中国軍と戦わなければならなかった。このため侵略の拡大とともに地図の作製体制が発展したのである。しかし「地の利は人の和に如かず」。平和を踏みにじり、戦争を拡大した結果が大日本帝国の破綻と敗戦であった。今日テレビドラマで「天地人」が話題になっているが、孟子が「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」(『孟子』「公孫丑章句・下」)と、「和」を最も貴んだことを忘れてはならない。本書を読みながら、このように考えた。
 ただしタイトルに「村上手帳の研究」とあるが、サブタイトルに「第一編」とあり、また結びで「いまようやく、村上手帳の実際に入っていく入り口に到達」したと述べられているように(本書、p.432)、この「研究」は前提的な研究である。先に村上手帳を「契機」としたのは、このためである。そして、村上手帳の本格的な研究は「第二編」に待たなければならず、大いに期待する。なお日本で使われている「日清戦争」ではなく「甲午日中戦争」と表記するのであれば、中国側の観点を徹底させて「日中」ではなく「中日」とすべきかと考えた。


2.『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』との関連で読む

 本書の主題が侵略のための軍用地図であり、その作製には偵察や諜報などのスパイ活動が必須であるという点から、これは「読みきれない」などと言ってはいられないと気づいた。何故なら、表舞台に登場する正規軍の戦闘や外交交渉だけでは、構造的暴力の戦争の理解は極めて不十分になるからである。さらに、私は南京大虐殺/事件に取り組んでおり、『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』(同時代社)の「解説」を発展させることを課題としており、松井石根大将・司令官の「陣中日記」や飯沼守少将・参謀課長の「日記」から謀略を読み取ることができ(『南京戦史資料集』、同、偕行社)、それを考察するためにはスパイ活動の理解が重要と捉えている。即ち、偵察や諜報に基づく謀略は南京戦研究の鍵と考えており、明治期から日本軍は本書のように活動していたのであれば、南京戦の時期にはさらに大規模かつ緻密に展開していたと言える。しかし、そのスパイ活動や謀略の実態は明らかにされていなく、戦争の暗部に秘匿されたままであり、傍証により補強する他ない。この点で、本書は傍証を助ける重要な文献となる。
 次に、偵察・諜報を用いたのは日本だけと考えるのは一面的である。侵略と戦う中国側も必死で偵察・諜報を行っていた。私は『アイデンティティと戦争』(グリーンピース出版会、2002年、p.71以降)で、雲南省の国民党軍が極めて詳細に日本軍の組織や配置を把握していたことを、地図を含めて紹介したことがある。そして、南京戦においても、また本書の時期においても、程度の差はあれ、抵抗のための偵察や諜報がなされていたと思われる。これに関連して「茶山陣地とその周辺」の地図は「全くめちゃめちゃに不正確」であったという箇所が注目される(本書、p.416)。これは季節や天候で地形が変わるという程度を越えた不正確さと言える。そして、この理由として「中国の測量部」が「いい加減に書いて置いたのだろう」と述べられているが(本書、p.417)、中国側が日本軍を混乱させるため「置いた」という可能性も考えられる。


3.『忍者武芸帳:影丸伝』、『カムイ伝』等と関わらせて読む

 南京戦や雲南戦は本書の時期の後になるが、私は、前の江戸時代についても考えた。測量手の村上は「薬売りなどの行商人に身を変え中国各地を歩き回り、地図作りをした」と書かれている(本書、p.8)。忍者・隠密も薬売りなどに身を変えて各地を歩きまわっていた。つまり村上はその後裔と言える。
 また、彼は「陸軍参謀部陸地測量部の雇員」であった。「雇員」という身分は、兵士どころか官員でもなく、その周辺に位置づけられる。かつて忍者が差別され最下層に置かれていたことを想起させる。そして、このような者であれば、何か問題が起きたときは、直ぐに切り捨てられる。問題は末端で済ませ、責任を上層にまで及ばせない。トカゲの尻尾切りである。しかし、このような人たちが重要な役割を担っていることは決して見過ごしてはならず、この観点から私は忍者に感心を向け、そして「雇員」村上にも注目する。それは『平和教育の思想と実践』(同時代社)で論じた宮原誠一の「最も実践的な末端」の観点である。
 このように考えると、私は青年時代に読んだ『忍者武芸帳:影丸伝』、『カムイ伝』、『カムイ外伝』、『サスケ』、『ワタリ』など白土三平の作品を思い出した。「カムイ外伝」(崔洋一監督)が映画化されたこともあり、白土の作品の意義は今日でも大きい。確かに、創作と論証という相違はあるが、創作にはリアリズムもあり、白土作品のリアリズムを参考にしつつ本書と読み比べると、それぞれの理解が深まるだろう。浅薄な実証主義や客観主義という主観に囚われた者は創作を取りあげることを問題とするが、それでは無味乾燥で貧弱なものにしかならない。優れた創作は人間の様々な世界を生き生きと描き出し、真実や真理を考究する者は、その中のリアリズムを参考にして、研究を深めることができる。
 もちろん、読み方は自由であり、これを押しつけるつもりはない。また私の深読みと受けとられてもかまわない。あくまでも読み方の一つとして述べたのである。そして、これは次の村上春樹の場合でも同様である(村上千代吉との混同を避けるためにフルネームにする)。


4.『ノルウェイの森』や『ねじまき鳥クロニクル』と関わらせて読む

 もう一つの創作として、私は村上春樹の『ノルウェイの森』を想起した。この作品では、「地理」を専攻し、「突撃隊」と称される男子学生が登場しており、そこでは地図と戦争の組み合わせが見出せる。ただし、村上春樹は、それ以上この組み合わせについて述べず、むしろ「突撃隊」の真面目で堅物という人物像が周囲の笑いを誘うことに重点を置いている。  私としても、Alfred Brinbaumの英訳では「カミカゼ」とされ、英語圏の読者と日本語圏の読者の違いに関心を向けるぐらいであった(なお林少華の中国語訳では「敢死隊」)。つまり日本語圏で「突撃隊」から受けるイメージと英語圏での「カミカゼ」のイメージの類比や、仮に村上春樹が原著で「カミカゼ(神風)」を用いれば、読者は史実に影響されて、「突撃隊」の言動をユーモラスに読むということが難しくなったろうなどと考える程度であった。
 しかし、『ねじまき鳥クロニクル』を読み、「地理」と「突撃隊」の含意の奥深さについて考えた。つまり『ねじまき鳥クロニクル』第一巻第十二章で、大学で地理を専攻し、軍隊では地図を専門とする「兵要地誌班」に配属された「間宮中尉」が登場したとき、私は「地理」専攻の「突撃隊」を思い出した。しかも、ここでは明確に地図と戦争の組み合わせが書かれ、その上、第九章ではノモンハン事件という史実が取りあげられている。
 村上春樹の文学世界(村上ワールド)は確かに創作された作品であるが、やはりリアリズムがある。そして、本書は村上ワールドのリアリズムを再確認させるとともに、それぞれの読み方を深めさせる。


5.現代における示唆

 地図について、現代では衛星写真等でさらに正確かつ詳細に作製できるようになっている。つまり、外形の把握では村上千代吉の時代から格段の進歩を遂げている。
 さらにスーパーコンピュータによる通信が日常生活に浸透し、私生活や内心まで探ることが容易になっている。つまり、現代において偵察や諜報は外形の把握を基礎に、日常生活や内心についてどれだけ正確かつ詳細に調べるかという段階に至っていると言える。表の世界の産業界でさえ、嗜好、関心、要求などの把握は流行、動向を見極めるために必須である。
 情報社会は情報管理統制社会であり、その情報は外面だけでなく内面も含まれている。かつて、地図が本書で示されているように作製されたことを踏まえれば、現代では日常生活や内心に関する一種の「地図」が、裏の世界でどれだけ精密に作製されているのかと考えさせられる。もちろん、これは浅薄な実証主義では論じられない問題である。情報収集活動など当局は明らかにしない。手の内を明かすのは愚の骨頂である。そして、戦前の国外での侵略戦争は国内での支配・弾圧(特に治安維持法と特高警察)と相関していたこと、及び、今日「盗聴法」と呼ばれる「犯罪捜査のための通信傍受法」が議論されている状況を踏まえると、実に本書は重要な示唆を与えると言える。私は、忍者・隠密は明治維新と近代化により消えたのではなく、測量手や特高警察など多様に発展し、さらに戦後は潜伏し、より洗練されたかたちで発展を続けていると観測している。



山田正行
小社刊『平和教育の思想と実践』『希望への扉−心に刻み伝えるアウシュヴィッツ』著者
1953年生れ。大阪教育大学教授、アウシュヴィッツ平和博物館理事長。