●功力達朗・国際基督教大学教授、元国連事務次長補
「読売新聞」 1998年4月1日付“わたしの古典”
ダーウィンの進化論(1859年)は、自然科学の理論だが、政治・経済のイデオロギーや利益追求に再三利用され、「社会進化論」として世界に大きな影響を及ぼしてきた。
適者生存、弱肉強食は自然の法則であり、自己利益追及は善であり、それが社会にも進歩をもららすとする認識は人々の倫理観に組み込まれ、大量死、頻発する民族紛争、過剰生産、過剰消費、環境破壊などに象徴される二十世紀の暗い側面につながった。
二十世紀の倫理では地球社会は保てないといわれる今日、ダーウィンの進化論批判として書いた本書は、新たな行動原理を模索するのに良い材料を提供してくれる。クロポトキンはアナーキストとして活動後、亡命先の英国で地理学者・進化論者として活躍した。彼は、動物界と人類界にはダーウィンの相互闘争の原理の外に、相互扶助の原理があることを検証し、後者の方が「種」の生存と進化のためにも遙かに重要であるとした。また、原始人、未開人社会、中世都市に見られた相互扶助のしきたりや制度は人間の本能にもとづくものであり、労働組合などの新たな形の団結として大きな役割を果たしていると指摘した。
世界史的変容の担い手として台頭する市民社会の様々な行動主体と、国家、国際機構、企業体との間にパートナーシップ形成を模索することは今や至上命題である。元来、目的や行動原理を大きく異にする場合パートナーシップの形成は困難な場合が多いが、それが人間の相互扶助本能にもとづくものであるならば、共生への努力には充分に希望がもてるといえよう。
●森岡正博・大阪府立大学教員
「朝日新聞」 1996年8月25日付読書欄
ぼくらの時代にいちばんぴったりくるリアリティーって、なんだろう。まず、ひとはみんな孤独だってことじゃないかな。孤独な人たちが、都市の中で、お互いにじゃまにならないように、無関心を装って生きている。
そして、他人にはっきりとした迷惑をかけないかぎり、各人の自由はできるだけ認めていこうとする。私に被害がおよばない限り、私はあなたのすることに口出ししないから、あなたもまた私のすることに口出ししないでほしい。
そのような、パラパラの個人が無干渉に併存するという、どこか淋(さび)しい理想を、ぼくたちは生きようとしているように見える。
そんな時代に、クロポトキンの『相互扶助論』は、とってもまぶしい。
ダーウィン以来、動物の社会は、強いものが弱いものを虐(しいた)げていく生存競争の社会であるという話が世に広まっている。
しかしそれはまちがった見方だ、とクロポトキンは言う。動物の間には、たしかに何かの競争があるが、しかしながら、同じ種のなかの個体同士のあいだには、それほど強烈な競争はない。じっくりと観察してみると、動物の個体のあいだにあるのは、明確な相互扶助の原則である。お互いが生き延びていけるようなささえあいのシステムである。
それらの相互扶助は、鳥や、哺(ほ)乳類など、あらゆる動物に見られる。仲間の危機を助けるカニの話や、仲間の死を悲嘆する鳥の話など、クロポトキンが紹介する数々の事例は、どれも説得力に富む。
人類社会だって同じことだ、とクロポトキンは強調する。彼は、未開時代から現代に至るまでの社会の姿を吟味して、生存競争ではなく、まさに相互扶助こそが社会を作り出す根本原理であることを示していく。
クロポトキンは、前世紀の変わり目のロシアの革命家。原著は1902年の出版だが、いまはむしろエコロジー運動の視点から読み直されるべきだろう。孤独な現代の個人主義者のこころにも、どこか深く響きわたるものをもった本である。