2 日常からの脱出
先頃、ある雑誌社の人がみえたおり、さいきん若い人たちのあいだに〈放浪のすすめ〉ともいうべき風潮が広まっているという話が出た。その人は、若い人たちの、そうした発想そのものにはけっして反対ではない。だがもう一つ、なにか重大なものが、そこに欠けているのではないかと語った。
その欠けているものとは、おそらく、放浪への決意と、その決意を引き受ける主体というものではないかと私は考える。自分をこうした行動へかり立てるのは、ひとえに環境が悪いからだといった被害者意識が、この欠落の背後にある。彼らがどうやら見捨てることができた環境のなかで、今日も生きつづけなければならない者への、一挙にして唐突な無関心がそこにある。ある日あたりを見まわして、ふいにいや気がさす。ふらっととび出す。行く手にはなにもないかもしれないが、なければまた引っ返せばいい、といった程度の〈脱出〉ではないのか。そうして、そういうタイプの脱出では、ほとんど確実にもとの巣へまい戻ってくる。またとび出すというパターンにならざるをえない。さいごには、どちらからどちらへ向けての脱出かわからない、いわばピストン運動のようなものになる。
私がいいたいのは、脱出がこのようなピストン運動に変質しはじめるや否や、そのパターンの全体がもはや脱出不可能なひとつの枠となってしまうということである。脱出しなければならないのはこのような〈枠〉であって、環境ではない。
放浪への姿勢のこのような拡散は、その出発にあたって、消亡への決意を欠いたことの、いわば当然の帰結だといえる。だが、日常への消亡をおそれたからこそ、彼は放浪へかり立てられたのではなかったか。ささやかではあるが、不断におもくるしい決意をしいられる日常の場から逃亡するために、あらためて決意を要求されるとすれば、放浪の不毛はその出発において、すでに予定されていたといわなければならない。
放浪とは、いわば自己の〈位置〉を進んで放棄することである。日常のただなかでみずからの位置を確かめつづけることが、いわば生きることへの証しであるなら、その位置を進んで放棄するという行為が、なんらかの決意なしに行なわれるはずはない。
「道路に死なん、これ天の命なり。」たしかこれは、奥の細道への旅立ちを決意した芭蕉が、そのはなむけに書きしるしたことばであったと思う。昭和二十四年春、私はソ連領中央アジヤの刑務所へ収容されたが、受刑の衝撃からわずかにもせよ私を救ったのは、このことばであった。未来に確実に待ちうけているはずの不可知の困難へ向けて、まがりなりにも私をささえるであろうものは、いわばどのような姿勢をも拒む姿勢ではないかと、私はそのとき考えた。
そのとき姿勢ということばで考えたものを、いま私は〈位置〉ということばで考えている。そして、その位置を不退転の意志でささえぬくためには、進んでその位置を捨て去る自分の姿を、はるかなそのさきへつねに想定しておかなければならないのである。そのときそのような放棄に耐えるだけの自分の姿勢をくりかえし自分に問うことによって、わずかに日常に耐える現在の位置をささえなおすことができるのだと私は考える。いささかの決意もなしに、そのような問いに耐えることはできない。
日常とはじつは、ささえても、ささえなくてもいいものである。しかしそれをもし、ささえねばならぬとするなら、もはやそれは、脱出してもしなくてもいいという安易な枠ではなくなる。戦争が私に教えた唯一のことは、そのことである。いまにして思えば、戦争は私に、日常をのがれることの不可能を教えた唯一の場であった。いかに遠くへへだたろうと、どのような極限へ追いこまれようと、そこで待ちうけているのはかならず日常である。なぜか。私たち自身が、すでに日常そのものだからである。
日常とは、日常の「異常さ」の謂である。日常をささえるとは、いわばこの異常さへ自覚的にかかわって行くことにほかならない。それはしかし、ため息のでるような、忍耐づよい、孤独な行為の積みかさねである。だが、生きる側へ向く以上、このような努力しか残されていないのである。しかも、その努力へかかわって行く私たち自身が、すでにのがれがたく日常そのものであり、したがって私たち自身もまた、日常そのものである自分自身の異常さへ刻々に向きあわないわけには行かない。それは闘争というような救いある過程ではない。自分自身の腐蝕と溶解の過程を、どれだけ先へ引きのばせるかという、さいごにひとつだけのこされた努力なのである。
ではどこに希望があるかと、人は問うだろう。それにたいして、ほとんど私は答えるすべを知らない。ただ、私にかろうじて、しかも自己のことばの責任においていえることは、逃げるな、負えるものはすべて負ってその位置へうずくまれということである。なまなかな未来を口にしないこと。そのことを、あらためて自己の決意とするということである。
|
|