『四万十川漁師ものがたり』の一部

うなぎのこと

 まず、一番私の生活をささえてくれたウナギのことから書いてみよう。
 夏の土用の「丑(うし)の日」が近づくと、新聞や雑誌などでウナギ談義がにぎやかになってくる。ウナギの語源についても鵜難儀(ウナンギ)だとか、棟木(ムナギ)だとか、胸黄(ムナギ)だとか、いろいろいわれるが、そんなことはここではどうでもよいことにしよう。
 それよりも、ほんとうにうまいウナギとはどんなものかについて考えてみよう。
 串三年などと言って焼くことのむずかしさを説く人もあるし、タレの古さを自慢する老舗もあるが、なんといっても一番肝心なことは原料となるウナギの優劣である。
 脂の乗り切った皮も肉もとろけるようなウナギというと、やはり棲息の場所によるものである。言いかえれば獲れた環境によって決まる。
 流れのゆるい、つまり河床勾配のゆるやかな、底質が泥か小砂のような処で、小魚や節足動物を常食として成育したものは最高である。
 頭部としっぽの部分が細く真ん中でふくらんで、まるで幼魚期のレプトセファルスをそのまま大きくしたような形のウナギが一番うまい。こういう処に棲んでいるウナギは皮膚の色も独特のものがあり、アオとかリンズとか呼ばれる高級品はすべてこんな環境の中でつくられる。
 種類は同じ日本産ウナギでも、流れの速い、河床が大粒の石で敷きつめられた場所や岩礁地帯に常住しているものは、エサも大形の魚やカニなどを捕食するため、上下顎(あご)の骨が発達し、頭部が大きくなり、俗にカニクイと呼ばれ、脂も少なく肉も固く、天然ウナギの中でも最下級品である。
 優良種は河口部(汽水域)に多く、後者は中流域から上流域に棲むものに多い。こまかく分けると、中筋川では荒川沖から本流との合流点まで、後川では佐岡橋から下流のものがよく、上流部では支流伊予川の三間地方のクリーク状の部分に棲むウナギは良質である。
 ともあれ、いずれのウナギを食うにしても、おいしく食べるコツは獲れたての焼きたてという一語につきる。活けじめなどというのは、養殖ものか汚れた川で獲れたものを、その悪臭を抜くためにする方法である。ただ長距離のためその輸送に長い時間を要する場合の活けじめは別である。出来るだけ獲れたてのものを料理し、口を焼くような焼きたてを賞味するのでなければウナギ食いの通人とはいえない。
 春先に養殖ものの大量斃死(へいし)したものを、素焼き冷凍しておいて夏になって味をつけて売るのや、客のない時は何日でも冷蔵庫に入れておいて、焼き直しては客に出すような店のウナギを食って、それでもしたり顔でウナギ談義をしているなど、見ていて腹を抱えたくなる。
 こんな人たちはこのウナギを食って頂きたい。
 長い時間をかけて送ったりしたのでは駄目だから、わざわざ食いにきて頂く外ないので、それは高いものにつくだろう。
 臓物もうまいし、骨まで結構頂ける。ただしこれを食うのは天然のウナギに限る。養殖物は供与した薬物の蓄積が危ぶまれるからである。
 臓物は胃や腸の中に残っている餌を出してから吸い物にしてもよく、砂糖と醤油で佃煮をつくるのもよい。骨は遠火で焙(あぶ)り、よく火の通ったところでビールのツマミなどにすれば最高で、またカルシウム分も多いので、子供たちには骨の成育を助長する大切な食品ともなる。
 どうも食うことの方を先に書いてしまったが、これからその獲り方について触れてみよう。
 まず釣りの場合だが、とにかくウナギは夜行性だから、昼間はその隠れ家の中にハリを差し込んで釣るような方法が用いられる。
 穴づり(ヒゴづり)と呼ばれるもので竹を細く割り、さらに削ったヒゴの先端に特殊なハリをつけてミミズやドジョウをエサにして釣る方法である。水田の畦の穴や川岸の石垣の間などが絶好の釣り場である。夜行性といったがこの川では昭和十年頃までは昼間も活動するものも多かった。これは先に書いた優良種ばかりであった。この種のものがどうして昼間も出ていたのか今に至るもナゾである。河口から上流にかけて至る処でみられた。アユの地曳き網などでもよく混獲されたし、ミミズをエサにしてハエ縄をすると朝から夕方まで操業でき、面白いほど釣れたものである。
 箱眼鏡という木製の箱の底にガラスを張ったもので、河底をのぞくと二、三メートルの深さの処に撒きちらしたほど多くのウナギがみられた。それをヤス(金突きという)で突いて獲る漁法で、これで一家をささえていた漁師も多かった。
 私はこれをさらに大量に獲ることを考えついた。小形の地曳き網を作ったのである。網の長さが三十メートル、高さが五メートル、魚どり部に三メートルぐらいの袋をつけ、さらに網の両端にそれぞれ五十メートルの藁綱(わらづな)をつけたものであった。一端に二名あておればよいので、家族だけで操業できた。これで一日に多い日には四十キロも水揚げした。
 それが昭和十年に未曾有といわれる大洪水があって、これを境にしてこの種のウナギは姿を消した。原因は不明である。とにかくこの洪水の直後にはウナギの豊漁が続いた。ズズグリというのは、ミミズを糸に通し数珠状にしたものを竹の柄をつけた細い鉄棒の先にくくりつけ、それを川の中に差し込んで釣る漁法であるが、一夜で三十キロも釣りあげた人もあった。私はこの洪水で家も家財道具もことごとく流してしまったので、その復旧に手をとられて、思うように漁もできなかった。洪水でおし広げられた海のようになった河口部で、やっとの思いで作った四十把の柴漬けで毎日のように大漁を繰り返したことであった。
 こんなことがあって全部のウナギが夜行性となった現在では漁法も漁具も少しは変わってきた。
 ウナギの地曳き網などというものはもとよりない。言いかえれば原始漁法へ後戻りしたのである。
 柴漬け、石漬け(イシグロまたはアナグロともいう)などは人工的にウナギの住み家をつくり、それにもぐり込んだウナギを捕えるもっとも原始的な漁法である。
 柴漬けは長さ一メートルぐらいの木の枝を束ねて、それを水の中に漬け込んで一昼夜以上置き、舟で引き上げて水際の処で大きなタモ網ですくい、その中にもぐり込んだウナギを獲るもので、長さ四十メートルのロープに四メートルごとに一把あての柴の束を取りつけ、両端に大きな石の重りをつけて沈める。この一連の漁具を「一はえ」と呼び腕のたつ漁師は「十はえ」以上を操作する。十メートル以上の深みにも沈めるので、かなりの重労働である。
 漁期は周年でもよいが、ピークは降りウナギの季節である。
 日本産ウナギは産卵のために毎年八月から十月頃にかけて、降雨の後で水が濁ったり増えたりすると上流から降ってくる。遠い産卵場への旅に備えて皮下脂肪もたっぷりだし、形も大きいので、専業漁家のかき入れ時となる。柴漬けは十日もたつと葉が落ちだし、蔭のうすくなった柴漬けは施設の悪い旅館と同じように客が少なくなる。したがって補修のために笹の小枝を挿し加えてやる。これを繰り返しながらの操業であるが、昭和三十年の半ば頃までは一把の柴に二キロも三キロも入っていたこともあった。
 石漬けというのは潮の干満差を利用する漁法で、干潮時に膝を浸すぐらいの浅い処に穴を掘り、直径十五センチから二十センチぐらいの大粒の砂礫を高さ一メートル近くも積み重ね、一潮(約二週間、大潮から大潮の間)ごとに積み替えて、その中にひそむウナギを獲るのである。大規模にやる漁家は専用の網で巻いておいて積み替えるが、片手間にやる人や、遊漁の人などは水中眼鏡でのぞきながら一つあて石を動かして、ウナギが見つかるとウナギ鋏(ばさみ)ではさんで捕る。楽しみも多いし、元手もかからない漁法ではあるが、大雨が降って三メートルも増水すると、跡形もなく流れてしまうこともあり、無駄骨の折れることは文字通り、賽(さい)の河原の石遊びである。
 ハエ縄は二十番手二十四本から三十本までの幹縄(オモソという)を使い、これに三号の人造テグスを枝糸(エダソという)として四メートルごとに結びつけ、枝糸の先端に七号から八号のハリをつける。一連(一ハチという)の長さは約二百メートルとなる。専業漁家では大体十ハチから十五ハチを使用する。
 エサはミミズかハゼの稚魚または小エビをつけて、夕方水中に投入し、翌早朝引き揚げる。
 漁獲は今では多い時でも四キロぐらいであり、釣確率十五パーセント程度である。
 コロバシというのは一般にいわれる餌筒(えづつ)の一種である。ミミズの多く出現する五、六月頃を主として行う漁法で、竹で編んだ長さ七十センチ、直径五センチぐらいの筒を七メートル間隔に連結して、一人で二百ぐらい使用する。これは一隻の漁舟の最大積載量でもある。
 これだけで終戦直後などは十キロ以上楽々と獲れたが、現在(昭和五十六年)では精々四キロぐらいである。箱モジというのは竹で編んだ籠の代わりに板を打ち合わせた細長い木箱を使用するもので、エサはミミズよりも活きたエビやオイカワやアユを使うことが多い。
 コロバシのことはモジともいう。すべてコジタと呼ばれるカエリ(モドラズともいう)が仕掛けられていて、エサの匂いにつられてこのトラップをくぐると再び外に出ることのできないようになっている。
 トラップにはいろいろの形があるが、竹を割って茶筅状にしたもの、舌のように一枚の薄板を工夫したもの等々あるが、これの硬軟が漁獲を左右するので、漁師のもっとも苦労するところである。
 その他にウナギ掻(か)きという漁具もある。これは泥の中にもぐっているウナギを引っ掛けるものであるが、今は殆ど使われなくなった。
 書き遅れたが、この川には三種類のウナギが棲んでいる。一つは今まで述べてきた日本産ウナギ、一つは俗にいう大ウナギ、今一つは心ない人々によって最近放流せられたヨーロッパウナギである。
 日本産ウナギは水系全域に分布しているが、大ウナギはそうはいかない。なぜかというと、これは熱帯産ウナギの迷い子で、日本列島では紀伊半島あたりが北限のはずで、水温の低い処を嫌い、この川でも雪解けの水の影響するような本流を避けて、冬でも水の温かい支流の中筋川や後川に棲んでいる。
 しかし数も少なく味も悪いので、これを目当てに漁をする人はいない。
 日本産ウナギの大型のものを大ウナギと見誤まる向きもあるようだが、これはひと目で識別できる。日本産ウナギでも秋の降りウナギの中には二キロ近いものがあるが、体長が長く体色も異なる。大ウナギには斑点が見られるが、一方にはない。ただしゴマウナギというのは全体に黒い斑点があるが、これは日本産ウナギと別種のものではなく、皮膚の色の変化であろう。
 他の一つのヨーロッパウナギは放流用種苗に混入されていたものらしい。
 殊更に悪意の業者があって、値段の安いヨーロッパ産を入れたと見るべきだが、これを受け入れる側の責任ある立場の県内水面漁連や県当局に、それを見分けるだけの素養がなかったのか、あるいは見て見ぬ振りをしなければならないような事情でもあったのか、いずれにしても不可解な話である。
 ひと頃は相当量の混獲もあり、また婚姻色も出て、肉眼でも卵巣の識別のできる親ウナギも獲れて、将来の生態系の混乱を危惧したこともあった。これは下関水産大学校の多部田先生にも標本を送り、確認を頂いているので間違いない事実である。
 それにしても大ウナギやヨーロッパウナギは別として、この日本産ウナギの生活史ほど多くの謎に包まれたものはないであろう。
 以下は私が雑誌『淡水魚 第三号』(淡水魚保護協会機関誌)の求めに応じて寄稿したものであるが、再録してご参考に供することとする。

 変態を終わった直後のシラスウナギが、この川に入ってくるのは例年十一月下旬である。
 数年前までは五十センチメートルぐらいの幅で白い布でも引きずるように大群で遡上したものである。直径三十センチメートルぐらいのタモ網で一掬いすると二百匹以上も入った。その上密度の高い大群なので、採取容器にゆっくり移していたのでは押し寄せてくるシラス群が速く通り抜けてしまうので、まるで叩きつけるようにしてタモ網を操作する。一時間もすると右腕が痛くなるほどだった。
 このようにして家族四人で出動すると、一晩二時間ぐらいの作業で八十キロから百キロも獲れたものであった。
 密漁者も稀にはあったが、売る目的ではなくすべて自家用で、しかも煮て食うためである。
 五升入りのバケツいっぱい獲るのに、ものの三十分とはかからなかったので、それだけ獲れば逃げるようにして帰り、早速翌朝の吸いものにして食ったのである。一鍋に二キロも三キロも入れてまるでソーメンを煮たようなものをすすり込む。川ソーメンという隠語が用いられたほどで、現在の価格なら一度に数十万円をペロリと平らげたことになる。もったいない話であった。
 そのような大群が入ってきても、純淡水域に姿を現すようになるのは、四月の下旬になる。体色ができて、いわゆるクロコにならなければ決して淡水域には入らないのである。
 これは同じ頃に遡上するアユとは対照的で、アユは川に入ると直ちに上流を目指して遡上する。一月から二月にかけて中流から上流にのぼる稚アユを一番のぼりと称し、最優勢種で養殖漁家の垂涎の的である。
 それでは一方のシラスウナギは、その数ヵ月間をいかに生活しているのか。これはナゾとなる部分ももとより多いが、大体に汽水域を上下しつつ淡水への準備訓練を行っているものと考えてよいだろう。それは浸透圧の変化に対する順応訓練である。
 こうして水温む頃となり体色も整ってくると、初めて淡水域への遡上を開始するのである。河口から十キロメートル地点を通過するのは五月頃となり、二十キロメートル地点を過ぎるのは六月下旬頃となるのである。
 これとは逆に親ウナギが発情して婚姻色を帯びるようになり、産卵のために汽水域へ降ってくるのは年にもよるが、早くても七月の下旬か八月の上旬頃となろう。これは洪水に乗って降ってくるので、洪水が九月までない時は九月にならなければ降りウナギは見ることができないわけである。年にもよるがといったのは、この台風による洪水の早いか遅いかに影響されるからである。
 夏の土用の中頃に洪水があって降ってくるウナギを特に「土用降り」と呼ぶ。この土用降りはエサで釣るのにもっともよい。婚姻色がでてくるとエサを食わなくなるという学説もあるようだが、絶対にそんなことはない。ドジョウやミミズをエサにして面白いように釣れる。私ども川漁師にとって笑いの止まらぬ時である。ただ秋が深まるにつれてエサにつかなくなり、初冬の頃となると完全にエサにつかない。
 これは一般のウナギも冬眠に入る時期である。
 ともあれこのようにして早い時期に降ってきた親ウナギも、直ちに外海の産卵場へ向かうものではない。十一月頃まで汽水域にとどまって、海水への順応訓練を続けるのである。私の実験による調査結果であるが、昭和三十八年八月に稀有の大洪水があり、大量の降りウナギが捕獲されたので、そのうちの百匹に標識をつけて海岸線にもっとも近い河口付近に放流してみた。その後そのうちの七尾が再捕獲されたが、これは九月に二個体、十月に二個体、十一月になって川が濁るほどの雨の後で三個体が獲れた。場所はそれぞれ放流地点から二キロ、四キロ、七キロメートル上流地点であった。私だけが採捕したのではなく、同業の漁師たちにも連絡してあったので、採捕のたびに報告を受けて集計したものである。この十一月の増水以後、降りウナギはこの川から姿を消した。この事実から推測して、数ヵ月間、海水への順応訓練を続けていた親ウナギは、水温の低下や日照時間等の影響も受けて、一挙に遠い海の彼方の産卵場に向かったものと考えられる。この試験結果により、親ウナギとシラスウナギそれぞれの浸透圧に対する順応訓練を続ける場所は、同一の汽水域であり、時期的に春と秋の違いはあるが、その期間は大体同じくらいであり、親ウナギとシラスウナギは入れ違いに、一方は川から海へ、一方は海から川へと移動するものであるとの確信を深めた。

 以上が雑誌『淡水魚』に寄稿したものであるが、ことのついでに今一つ蛇足を加えておきたい。それはウナギは昔から肺結核の特効薬として珍重されてきたことである。
 今のように抗生物質もなかった時代には、結核患者も多かった。死亡率も高く、あたら有為の若い人たちがこの病気のために沢山死亡した。
 栄養価も高く殺菌力も強いと信じられていたので、ミズムシやタムシにまで特効があるといわれ、結核にかかると何はさておいてもウナギであった。
 毎日沢山の患者の家族から買いにきて頂いたが、卓効があったとは思えない。結核よりもよく効いたのは、肺炎であった。特に急性肺炎にはよく効いたようだ。真冬の厳寒の中を泣くようにして頼みにきた患者の家族のために、雪の中で柴漬けを揚げて、やっと獲れたわずか数匹を差し上げたのが命を救い、後で大変なお礼を頂いた記憶もある。
 その用法もかわっていた。結核の場合は普通の蒲焼きでよかったが、肺炎の場合は、生きたままのウナギを二匹ぐらいカンピン(酒を燗する徳利)に入れて、熱湯の中に三十分ぐらい漬けると、盃一杯ぐらいの黄色い液体がとれる。これを患者に呑ましたのである。後で聞いたことであるが、ウナギの成分の中にアンチルンゲンという物質があり、同名の医薬が肺炎の特効薬として薬局でも売られていたことと思い合わせ、その効果にはうなずけるものがあった。
 長々とウナギのことを書いたが、この川でも最近は非常に少なくなった。ひと頃の農薬による大被害の上に、さらに追い打ちをかけるようにシラスウナギの乱獲が始まったのである。稲作転換で始めた施設園芸も頭打ちとなり、そのビニールハウスをそのまま利用したウナギの加温養殖は、周年投餌が可能で効率が高いというので年とともに盛んになってきた。
 その上大手企業は、台湾やタイなどでは加温設備もいらない上に労賃も安いというのでシラスウナギを現地に運んで飼うことを始めた。
 こうして一キログラム当たり二十万、三十万という高値がつけられると、シラスウナギの遡上する頃の川岸は、まるで戦場である。一メートルおきに並んだ二千人に近い採捕者は、われ劣らじとあかあかと明かりをともすので、一大不夜城を現出する。こうして川にのぼってくるシラスウナギの九十パーセント以上が採捕されるので、激減の一途をたどることは当然である。
 天然記念物的存在にならないことを後世のために祈るものである。