沖縄との出会い

 沖縄のどこにひかれるのかも、また人それぞれである。美しい海、独特の文化、あたたかな人情……などなど。年配の方になるとその理由に沖縄の温暖な気候をあげる人も多い。一般的に本土では四季がはっきりしているため、季節の変わり目で体調を狂わせることが多いが、沖縄では一年を通して温暖な日々が続く。沖縄の年間平均気温は二二度であり、真冬でも一〇度をきることはまずない。こうした点は、沖縄が本土の人たちよりも平均寿命の長い要因の一つだといわれる。
 「沖縄で音楽の勉強をしたい」であったり、「ダイビングのインストラクターになりたい」といったような理由で沖縄に移住した人たちもいるが、私の場合、そんな高尚(?)な動機があるわけでもなかった。「なぜ沖縄に来たのか」とつきつめて聞かれると、正直とまどってしまう。温暖な気候、美しい海などにひかれたことはたしかであるが、はっきりと沖縄のここ、これを求めて移住しました、というわけでもなかった。
 ただ、沖縄への移住を決心した瞬間というものは、今でもはっきりおぼえている。

 私は学生時代から何度か沖縄を訪れてはいたのだが、沖縄についての知識といえば学校で教わった社会科の授業程度のもので、当時は沖縄に対してなんら特別な感情があったわけでもなかった。
 大学卒業後は国家公務員として、地元の関西で「ぬるま湯」にどっぷりとつかった生活を送っていた。職場は無気力なムードにおおわれ、私を含め職員はロボットのように上から指示があるまでは動こうともしない。考えていることといえば、「いかに楽をするか」「いかに自分のところに仕事をもってこさせないようにするか」。出張の許可を得るために、いちいち上司の判子を五つももらわねばならず、退庁時間を過ぎて職場に戻ってくれば「そこまでがんばらなくてもいい」と注意される始末。
 無論、「休まず、遅れず、働かず」を続けていれば波風も立たず、それなりの給料ももらえる。生活にはまったく困らない。しかし、そんな自分自身に対して、「このまま変化なく、一生を過ごしていっていいのだろうか」といったようないらだちをいつも感じていた。
 そんなおり、ダイビングをするため、久しぶりに沖縄本島真栄田岬へと足を運んだ。宿泊予定のユースホステルに到着し、少し散歩しようと外に出たころにはすでに日も暮れ、大きな月があたり一面を照らしだしていた。サトウキビ畑にはさまれた細長い道を歩いていると、なんともいえない不思議な感情が強烈にこみあげてきた。感じたものがなんだったのかは未だによくわからないし、言葉でもうまく説明できない。しかし、そのときたしかに沖縄と自分との運命的なつながりのようなものを感じた。

 「ここに住もう、ここに住みたい」と真剣に考えるようになったのは、その瞬間からである。その光景は私の心に鮮明に焼きつき、普段の生活にもどっても沖縄のことがどうしても頭から離れず、常に沖縄を意識するようになっていった。異性を好きになってしまったようなものである。
 沖縄のことを少しでも知りたいという一心から、現地の新聞「琉球新報」を購読しはじめた。配達は郵送で一日か二日遅れの新聞が自宅に届くのだが、そんなことはまったく気にならなかった。現地の情報を得られることがうれしく、新聞をめくっていると、冬の寒い夜でも沖縄のあたたかさに包まれているような、とても幸せな気分にひたれたものである。

移住の出発点

 沖縄移住には、乗りこえなければならない障害がいくつも立ちはだかっている。まず第一の障害は両親や妻などの説得になるだろう。移住成功の条件の一つとして、まず周囲からの理解、協力が必要不可欠である。この周囲からの理解、協力を得ることが私の経験からもとてもむずかしかった。自分の夫や妻、兄弟などから、ある日突然「沖縄に移住したい、しばらく向こうで暮らしたい」といわれたら、誰しもビックリする。家庭によっては話し合う以前の問題となるかもしれない。
 当時、私には結婚を約束していた女性(現在の妻)がいた。同郷の彼女は幸いなことに沖縄への移住に理解をしめしてくれた。当然、反対されるものと覚悟してのぞんだ彼女の両親との話し合いでは、「娘の気持ちを尊重したい」といってもらえた。もっとも心中は複雑であったに違いないだろうが、彼女とその両親が沖縄行きに同意してくれたのは、私にとって本当にありがたいことだった。
 むしろ説得に苦労したのは私の両親の方であった。最初に沖縄に住みたいとうちあけたときには相手にもされなかった。私は家を継ぐ立場でもなく、わりあい自由な境遇だったが、地元で公務員をしていたこともあり、両親はこのまま地元に残ってくれると信じていたようだ。それが故郷を離れ、しかも仕事を辞めてまで遠く離れた沖縄にいってしまうというのだから、反対するにきまっている。
 両親に説得を繰り返してみても、「旅行と住むのとは大違いだ」「絶対、嫌になるにきまってる」「わざわざ公務員を辞めてまでいく必要はない」といったようなことばが矢継ぎ早に返ってくるだけであった。
 私の方といえば、「それでも沖縄が好きだから……」「何年になるかわからないが、とにかく一度は沖縄に住んでみたい」としか答えられなかった。説得力ある説明もできなかった。つまり、この感覚的な「沖縄が好き」という気持ちを、客観的に伝えることができなかったのである。
 その後も話し合いは並行線のまま、両親は出発直前にしぶしぶ許すといった様子で、結局沖縄への移住には最後まで理解を示してもらえなかった。私はなかば見切り発車するかたちで沖縄へ向かったが、移住して六年たった今では、冬の間はあたたかい沖縄へ来て保養していってもらいたいと思うし、少しでも親孝行したい。
 親や兄弟などの周囲の反対にあうということは、逆に考えれば自分の意志、状況をあらためて再確認できるというプラス面もある。移住した後に、こんなはずじゃなかった、と後悔することだけはさけたいものである。