| それぞれの沖縄〜お好み・鉄板焼き経営…松本利一&ふみ子さん
「エイサーが好きで、その日はエイサーが近づいてくるとお店のカギ締めて観に行くんですよ。後にずっとついていって何時間も帰ってこないくらいです。自分でもやってみたいけど年齢的にもうダメかもしれない。子どもには絶対やらせたいですね」と話す松本さんご夫妻。
大好きな沖縄でお好み焼きともんじゃ焼きを広めようと、沖縄市の中之町でお店を経営するお二人。沖縄に移住したのは一九九七年の一一月だが、じつはふみ子さんは七年前に一年間ほど沖縄に住んでいたことがある。
バスケットボールの日本リーグで活躍していたふみ子さんは、ダイビングが目的で、実業団を辞め沖縄へ。そのとき仕事で沖縄に出張してきていた利一さんとダイビングで知り合い、結婚を機に横浜へ戻っている。利一さんは煙立工事船のメンテナンスの仕事で一〇年間、年二、三回の割合で沖縄に来ていた。
ふたりとも沖縄が好きで、結婚したときから、いつかは沖縄に移住しようと考えていたという。
「沖縄では仕事があまりないことはわかっていたので、じゃあなにをすればいいか考えたときに、沖縄にはあまりないお好み焼きやもんじゃ焼きを広めようと考えたんです」
移住を決めた後、利一さんは仕事を辞め、友人のもんじゃ焼き屋で半年間修行。ホテルに滞在しながら部屋探しを始め、沖縄市の海の見えるアパートを二日目で探し当てた。
「沖縄市に住むことは決めていました。那覇だと恣結桙フ小さい版揩ニいう気がしたし、友人も沖縄市に多く、人間的にもあたたかい人たちが多い。それから、店を出すなら沖縄市が北限かなと思いましたから」
年代の別なく、子どもたちがみんな一緒に遊んでいる、開放的で健康的な生活をみんながしている。そんな印象を最初に受けたそうだ。
「東京みたいにギスギスしたものがなくて、気持ちに余裕があるんですよ。電車がないので、分刻みの生活から解放されました。公共的なマナー、たとえば、エスカレーターの乗り方とかスーパーのレジが遅いといった些細なことに最初はイライラしましたけど、これが沖縄流なんだと最近やっと慣れてきました」
はじめてのお客さんでもみな友だちのように話しかけてくるし、町で会っても声をかけてくれる。飲屋にひとりで行っても気軽に声をかけてくるので、すぐに友だちができてしまう。そんな沖縄市の人たちの人の良さがとても好きだという。
「沖縄に関する情報が少ないので、たくさん集めてから来た方がいいですよ。転勤で来た人たちは、仕事上で言葉や生活、意識のズレなどに悩んでいる人が多いですが、奥さんたちは意外に沖縄に溶け込んで楽しんでいる人が多いです」
なにごとも気楽に、肩の力を抜くこと。住めば都、これは慣れるしかない、とこれから沖縄移住を考えている人にアドバイスしてくれた。
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