| ケース−検査で異常はでないのに ▼滝田智子さん(54歳)・看護婦 滝田さんが来院した時は、からだのあちこち悪いところだらけで、更年期以来とくに症状がひどくなり、十五年間続けた職場を辞めようと決心した直後でした。滝田さんは公立病院の看護婦で、現在は外来勤務で夜勤はありません。主な症状をあげたくても、あげ切れないくらい全身病気だらけでした。 まず、血圧が高いのですが、降圧剤でコントロールできません。のむと胃が痛むもの、動悸が激しくなるもの、血圧が下がりすぎてダラッとしてしまうもの、頭痛になるもの、咳が止まらなくなるもの、という調子で、降圧剤をのむとすぐに副作用ばかり出て、のみ続けられません。 五年前に椎間板ヘルニアで二カ月ほど入院しましたが、今も腰から足先まで冷え、左下肢はとくにビリビリしびれます。 十年くらい前から、ねつきが悪くなり、眠りが浅く夢ばかり見ます。特別な悩みはないのに、帰宅して慌ただしく家事をこなし、疲れ果てていても眠れません。ちょっとふだんとちがうことがあれば、ずっと眠れないまま朝になってしまいます。軽い眠剤を時々のむと眠れますが、「のむとくせになるのではないか」「眠剤、精神安定剤はのみ続けると早くボケるのではないか」と心配なので、極力がまんして使いません。 食欲がなく、いつも下痢をしています。椎間板ヘルニアで入院した時にのんだ薬で、血便が出たことがあり、大腸の検査をして、潰瘍性大腸炎と診断されました。いろいろな薬を使っても、一向に治りません。 滝田さんは自分の勤務している病院で治療しているわけではなく、自宅の近くの病院の循環器科、消化器科、整形外科にかかっています。自分の病院にかかれば、少しは便宜を計ってもらえますが、検査データなどが筒抜けでプライバシーが守られない感じがするのと、なかなか好転しない病状に対して、医者から露骨にいやな顔をされたり、「看護婦なのにノイローゼじゃあ、しょうがない」といわれ、苦痛の訴えようがなくなっていたからです。といっても、現在の治療がうまくいっているわけではなく、あちこちガタガタのまま働き続け、本当にいやになって退職しようと決心したところだったのです。 滝田さんは検査で異常が出たことは全然ないようです。定期的な職場の健康診断や、他の病院での検査でも、この数年全然問題はありませんでした。十年前に子宮筋腫の手術を受けたために、その時から生理はなく、いつが閉経なのかわかりませんが、更年期っぽい症状はたくさんあるようです。時々パーッとのぼせてからだが熱くなり、頭痛がしてイライラするという症状は、かなり長く続いています。 おなかを触ってみると、全体に柔らかいだけで、痛いところや、動脈の拍動は触れません。おへその下に子宮筋腫の時の手術のあとがあります。 滝田さんは話を聞いてみても、あまり神経質そうな感じはしません。きちんとお化粧をして、すっきりした体型なので、とても若く見えます。「眠れない、痛い、血圧がさがらない、食欲がない」という話を、職業柄かニコニコ笑顔で話します。うつっぽいとは思えません。 滝田さんには、柴胡桂枝乾姜湯と五積散を処方しました。経過が長くて疲れ果て、自力で回復できなくなっているのだろうと考えて柴胡桂枝乾姜湯を出し、更年期の症状で時々のぼせてイライラするという症状に五積散を出したのです。今までに使っていた降圧剤、眠剤、消化剤などは、様子をみながら続けることにしました。たくさんの問題な症状があったのですが、「絶不調」の表現がピッタリで、からだを立て直すのが先決だと考えました。 「あと一カ月で仕事はやめます。もう続きません」 と滝田さんはさかんに繰り返します。 「調子が悪いまま辞めて、収入がないのに寝込むなんて損な辞め方はダメ。どうせここまで調子悪いなら、すこしは良くなるメドがついてから辞めて、ゆっくり楽しく休めばいい。このタイプは具合が悪くても仕事場では元気そうにしていて迷惑をかけないし、辞めるのはいつでも自由なんだから、もう少し我慢して続けた方が得でしょ」 というのが私の説得のしかたでした。 滝田さんの経過はその後とても順調です。本当に劇的に効いて、ウソのように良くなってしまいました。柴胡桂枝乾姜湯のおかげでしょうが、すぐによく眠れるようになり、血圧が安定しました。それまでは降圧剤でカルシウム拮抗剤という種類のもののかなり多い量をのんでも、血圧の上は一七〇、下は一〇〇くらいが普通で、頭がボーッとして手足がだるくなった時に計ると、上が一二〇、下が九〇くらいに下がっていました。降圧剤を減らすと血圧は上がりっ放しになり、のめば上がったり下がったりが激しいので、困り果てていたのです。 降圧剤は柴胡桂枝乾姜湯をのむようになってからは、カルシウム拮抗剤の今までの量の八分の一で済み、血圧を計りながら一日に一回のんでいますが、上が一三〇以下、下が八〇くらいに落ち着いています。 「五積散はのぼせのためにいただいたのですが、のんでみたら腰の痛みにとてもよく効くのです。仕事中に『よっこらしょ』とかけ声をかけていたのが、荷物を持ち上げたり、椅子に座ったりする時に、かけ声が出なくなりました。手足の冷えはとてもよくなりましたし、何よりヘルニアのあとの腰痛がとてもよくなって、働くのがずい分楽です。たしかにもっと良くなってから辞める方が得だと思えるようになりました」 柴胡桂枝乾姜湯と五積散を四週間続けてみて、漢方薬が効くことが実感できると、他の症状のあれやこれやの要求が出てきました。そういう点は、看護婦も一般の人も変わりません。滝田さんは、消化器症状も大変なのだと言います。 食欲がない、いつも下痢気味、おなかが痛い、ゴロゴロいうなど、要するに「おなかの不調」です。体重は今までで五〇キロを越えたことがありません。すっきりした体型というより、細っぽいのです。 おなかの手術をしている病歴から大建中湯、下痢が続き疲れやすいことから人参湯を加えてみようと思いました。柴胡桂枝乾姜湯の効く人には、人参湯がよく効く場合がけっこう多いからです。でも、柴胡桂枝乾姜湯、五積散、人参湯、大建中湯というふうに、漢方薬を四袋も一度にのませるのは、どうも気がひけます。 「私は粉薬をのむのは平気です。今までの二種類は一度にのんでいました。四袋を適当にのんではいけませんか?」 滝田さんは平気な顔で言います。 漢方薬がよく効く場合、患者さんはたくさんいっぺんにのんでしまいたがります。でも、たいていの場合には、よく検討すると減らせる薬が見つかるものです。規定量通りのまなくても大丈夫になって、解決されている症状がかなりあるからです。薬が効いてきて、よくなると減らせるのは、漢方薬の面白いところです。 滝田さんの場合には、五積散を四週間のんで、痛みはずっと楽になっていました。のぼせは減っていましたし、イライラは軽い精神安定剤をその時にのめば、おさまるようになっていました。そこで、五積散は痛みを目安にして、必要ならのむ方向に変え、柴胡桂枝乾姜湯と人参湯を重点にして、夜だけ大建中湯をのんで、おなかを温めて寝ることにしました。 このやり方で、滝田さんの問題はほぼ解決しました。時々カゼをひいたり、口内炎ができたりした時には、麻黄附子細辛湯がよく効きましたし、以前よりずっと調子よく働ける状態になりました。ごく少量の降圧剤で血圧も安定しましたから、いうことはありません。 五十代の看護婦で公立病院勤務十五年で、婦長の経験がないのは少し不思議だったので、何か事情があるのかと聞いてみたら、滝田さんは意外なことを言い出しました。 「結婚して二人生まれましたが、上の子が筋ジストロフィーでした。二人を育てながら働いていましたが、無理になって退職して、その後はずっと息子の看病をしていました。その子を亡くして気持ちの整理がついてから、また働き始めましたが、長いブランクでしたから、みんなに負けまい、迷惑をかけるまいと疲れても休まないで働いてきました。夫は公務員でとてもよく助けてくれていますが、この一年くらいはよく喧嘩になります。『あんたは働きすぎる。他人に尽くしすぎる。すこしは家族にもいい顔をしてくれ』って言われます。でも、看護婦なんだからと無理して働いていると、家に帰るとドッと疲れが出て、家族に当たってしまいます。わかっていても、『このくらいいいでしょ』と思っちゃうんです」 滝田さんはその後、二十五年間の厚生年金受給資格ができるまで、一年半病院を辞めずに働きました。ときどき家族のために休みを取ったりしながら、二十五年になったところで退職しました。退職して三カ月たった時の話は、なかなか興味深いものでした。 「仕事を辞めたら気が抜けてダメになるんじゃないかと、本気で心配していたんですが、それどころではなかったんです。ずっと長い間会えなかった友達に順番につきあおうと計画していたのに、出て行くと十日間はのびてしまいます。朝は夫と息子を送り出すと眠くなって、横になるとそのまま昼すぎまで眠ってしまい、お昼を食べるとまた眠くなって寝て、結局何もしないで一日寝ています。夜は夜でやっぱり眠っていました。よくこんなに眠れると思うくらい眠って、少しマシになったのがつい最近でした。二カ月以上寝てばかりいたのですが、さすがに薬がスッカラカンに底をつきましたので、今日は出てきました」 薬は寝てばかりいた関係で、一日一回のむ程度だったようです。それでも滝田さんは割にすっきりした顔をしていました。 その後は、あまり眠らないでも体力がもつようになったそうですが、柴胡桂枝乾姜湯と人参湯を一日一回、五積散と大建中湯は適宜というペースですごしています。血圧はほんのちょっとの降圧剤はやはり必要ですが、安定しています。 退職後一年たった最近では、定職にはついていませんが、息子さんの介護と看護婦の経験を生かして、地域の老人の介護のための様々な問題に関わりだしています。柴胡桂枝乾姜湯にしても、人参湯にしても、そういう弱い人向けの薬が効くということは、弱い人のはずなのに、妙にエネルギーがあって、だから疲れ果てるのかなあと、滝田さんを見ていると感じます。 |