現代の俳句界を代表する飯田さんの住まいは、山々の眺めの素晴らしい甲府盆地にある。
ふるさとは坂八方に春の嶺
飯田龍太
細い坂道の上の屋敷には大木、老木が繁っている。屋根の大きな母屋は古色蒼然として、なんともいえない風格がある。
新聞社に勤めていたとき、四季おりおり何度かおじゃました。そのたびにご馳走になった。清浄な日本座敷の、底づやのあるどっしりとした食卓に、家の畑や山で採れた旬の物がよく冷えた日本酒と一緒につぎつぎと並べられた。仕事そっちのけで、賞味するのにただもう夢中になった。
広い屋敷には野鳥の鳴き声が絶えない。カッコーを聞いたことがあるが、久しぶりで嬉しかった。ツツドリも聞いた。ひと頃は幽妙な鳴き声で名高いサンコウチョウも聞かれたという。話が鳥のことになると、小柄な飯田さんはいつも膝をのりだす。端正な顔がいっそう生き生きとしてくる。昔から鳥は好きなのである。
春の鳶寄りわかれては高みつつ 百千鳥雌蕊雄蕊を囃すなり
飯田さんの鳥の話のなかでとてもいいと思ったのは、少年時代に飼ったモズの話だ。
庭の竹藪でモズの幼鳥を拾う。前の日の嵐で巣ごと落ちたらしいのだ。飯田少年はクモや毛虫をせっせと捕まえてきては食べさせて育てた。モズはすっかり大きくなった。ある日、もう放してやろうと思い、2キロほど離れた林へ連れていき籠から放した。
家に帰ってみると、籠から飛び出て消えたはずのモズがなんと庭のウメの枝にとまっている。それも、こちらを向いて羽をばたばたさせている。まるで何か語りかけているようである。
飯田少年は驚くと同時に、いままでにないモズへの愛しさを感じた。そのまま飼いつづけたが、心のなかで別の自分が「やっぱり放してやるべきだ」とささやきかける。少年は迷ったあげく、籠の蓋をしないでおくことにした。すると数日後、モズは飛び出たまま帰ってこなかった。さびしかったがほっとした。
少年はモズと親しくなり、愛しく思うようにもなったのだった。でも、だからといって心安くいい気になり、モズを虜にし続けようとはしなかった。モズが本来もっている「野生の権利」を尊重して放してやった。きちんと距離をおいてモズとつきあったのである。 自然に対して「親しんでも狎れず」と飯田さんはいう。自然のみんなと親しくつきあうけれども、決してべたべたとはしない。我がもの顔になって狎れ狎れしくしないというのである。モズ少年はそうだった。少年のこの気持ちは大人になっても変わっていない。つまりこれが飯田さんの、自然の一員としての在りよう、自然とのつきあい方、なのである。
野鳥の鳴き声が途絶えて屋敷全体が一瞬しんとすると、何かずっしりとしたものを急に感じた。3百年続いたという旧家の歴史の重みに違いない。そのなかで大正生まれの飯田さんは背筋をのばし、自然の大きさ、深さを淡々と話し続けるのだった。
(同時代社編集室)