彼女に会ったのは大阪の梅田劇場の楽屋だった。亡くなる3年前である。新聞社の仕事でインタビュー記事を書くためだった。
戦後が生んだ大スターである。電話一本でおいそれと会える相手ではない。まして芸能専門の記者でもないし特別のコネもない。約束を最終的に取りつけるまで7か月かかった。取り次いでもらうために会った人は5人にのぼった。雑然とした通りの劇場へ行くと、裏口から楽屋までの細い通路の要所要所に、目つきの鋭い人が三人ほど椅子にかけていた。
狭い楽屋だった。煙草と化粧の匂いが染みついている。ウーロン茶の大ボトルと、横綱があぐらをかくような紫色の大座布団をもった若い女性が現れ、黙って置いていった。すると、ひばりさんが入ってきた。意外に小柄で近所のおばさんといった風情である。「よいしょっ」といいながら大座布団に座った。大儀そうだった。命取りになった病巣がすでに広がりはじめていたのだろう。
約束の20分間はあっというまに過ぎた。打ち切りにしたいマネジャーが何度も顔をのぞかせる。彼女はそのつど「いいじゃない」といって、こちらの問いにていねいに答えてくれる。これは有り難いインタビューである。
「タクシーを降りようとして、財布を持っていないのに気づいたことがあったそうですね」
と聞くと、彼女は「ああ、あれね」といって笑いだした。
「そうなのよ。困っちゃって。仕方ないから、運転手さん、歌うたうから許してっていったらいいですよ、って。それで歌ったの」 「何を」
「りんご追分」
30年を越す歌手生活で全国津々浦々、舞台という舞台、ステージというステージに立ってきた彼女が、タクシーの中で、たった一人の観客に向かい、それも肉声で歌うとは誰が想像しただろう。
人だかりがして外を歩けないのは大スターの宿命である。大スターは籠の鳥。彼女も当然そうだ。何を一番してみたいかと質問すれば、街を自由に歩くこと、というにきまっている。愚問に違いなかったがやはり聞きたかった。
予想通りの答えが返ってきた。だがひと味違っていた。ただ出歩くのではなくて、「りんご追分」や「港町13番地」、「柔」といった自分が何度も歌う歌に出てくる主人公のような格好をして、外へ出たい、外にいたい、というのである。「りんご追分」の、リンゴ摘みの少女のように絣の作業衣を着て、岩木山の頂を流れる雲を眺めたい。「港町13番地」の、パイプふかしたマドロス姿で肩で風を切って、カモメの群れとぶ波止場を歩きたい。
「一度、ホテルを夜中こっそり抜け出して屋台へ行ったの。屋台のおじさんに、私、知ってるって聞いたら、知らないって。もうほんとにほっとして、大喜びでいざ食べようとしたら、探しにきたマネジャーたちにつかまって元へ戻されちゃったの。あーあよ」
この時はどんな歌の主人公を思い描いたのか聞かなかったが、千載一遇を逃した彼女はどんなに無念だったろう。インタビューを忘れて彼女とうなづき合った。3年後、籠の鳥はやっと自由になれたのである。
(同時代社編集室)