何かで「その他大勢」という言葉を見聞きすると、蜷川さんを思い出すときがある。国際的に知られた舞台演出家だ。
「近松心中物語」だったか「マクベス」だったか記憶がはっきりしないが、稽古を見せてもらいに行ったことがある。米倉庫を改造したスタジオで、隅田川の近くにあった。
群衆が出てくるシーンの稽古はすごい迫力だった。仮装した7、80人の男女が声をあげて小走りになり、渦を巻く。何度も渦ができてスタジオ全体が沸騰する。セーターの腕をまくりあげ高い所へかけ上がった蜷川さんは、大きな目をぎらぎらさせて眺め渡し、声を張りあげる。
「うそ臭せえぞぉ」
「ムードで動いてたら人生が入らねえだろうがぁ」
「だめだめだめっ」
面白くて2、3日通った。すると分かってきたことがある。この演出家は群衆シーンをとても大事にしているのだ。じつにていねいに細かく気を配る。より完全なものへと、みんなのモラルも高めていく。1日の大半が群衆シーンばかりということもあった。
「群衆には生活の断片があるじゃないですか。舞台とお客さんとは、そこでつながってもらえると思うんですね」
蜷川さんは額の汗を腕でぬぐいながらいった。
「主役なんてここから浮きあがってきているだけです。まず群衆ありきなんですよ。群衆の役って『その他大勢』ですから、まずその他大勢ありきですね」
山田洋次さんが寅さん映画をつくるとき、玄関の開け閉めから飼い犬の餌の中身まで、日常生活の細かな事柄にとことん凝ることで全体のリアリティーを出していたけれど、監督や演出家にはみんなそれぞれ力の入れどころがあるわけだ。「その他大勢」を大事にするのは、蜷川さんの演出家としての決め球なんだと思った。
でも、彼は舞台と客とをつなげるものだからという理由だけで群衆・その他大勢を大事にしているんだろうか。そうするのは演出上の理由にすぎないんだろうか。次に会ったときにぜひその辺を聞いてみたいと思っていたのだが、そのままになってしまった。それが偶然あるとき蜷川さんの来し方を知る機会があった。少年時代のことを知って、「そうだったのか」と思わず膝を打った。
彼は鋳物工場がたくさんある町で育った。父は洋服屋だった。電車に乗って川を越え東京の名門の私立中学へ通うが、それはまわりでは自分一人だけだった。瀟洒な制服を着て通う路地は零細な工場が並び鉄屑や鉱炉のにおいがした。そこでは、集団就職してきたり小学校からすぐ仕事についたりした同じ年ごろの少年たちが汗や煤にまみれていた。蜷川少年は路地の少年たちの目を気持ちのどこかでいつも意識していたという。
社会がもちつもたれつの関係ならば、自分がこうして一人だけいい格好をしていい学校へ通えるのは、まわりまわって、あの名も知れぬ大勢の少年たちのお陰ともいえる――感受性の強い蜷川少年がそう思っても不思議はない。
この演出家が大事にしている「その他大勢」は、キューポラの町の少年時代のこのときに胸へ深くしみ込んだのだと思う。
(同時代社編集室)