<断想>山中に暮らす 草野比佐男

 阿武隈山地南部東縁の、川のほとりの一軒家に暮らしている。家業は一応農業だが二人の子どもは兄が東京、弟が磐城海岸の街に出ていて、標高350メートル、建坪およそ200平方メートルの家には老夫婦だけ。

 付近では拙宅のような家は異例に属して、従って傍目にはみじめに映るかもしれない。だが別に暮らしに支障はない。田仕事は耕起・代掻きから収穫まで他人に委託して、その支払いに稼ぎの一部を当てるための原稿を書く。山中の農業は機械を揃えても、機械を頼んでも、どのみち赤字をまぬがれない。つまりは代々の田を維持するだけの耕作なのだ。老人は老人の遣り方でそれを果たす。

 ちなみに、家の周りの田だけは委託を代掻きの段階にとどめ、自宅で苗を育てて、子どもらを田植えに呼ぶ。そのあとの水管理や病虫害の防除及び畦草刈りなどは執筆の合間の仕事になるが、秋には再び子どもらが来て、稲を刈り、稲架に掛け干して、脱穀する。コンバインヘの委託に較べて手間はかかるが、天日乾燥の米は断然味が優る。所詮田は赤字なのだからせめて自家飯米ぐらいは旨いものを作ろう、自耕自食のメリットを生かそうというわけだ。従って安全性にも配慮して施肥や農薬の撒布を減らす。また、出費も抑えて、そこに使う機械はすべて耐用年数ぎりぎりの旧式のもの。万一の故障を考えて中古の出物についての情報も頭に入れておく。

 ところで、二人の子どもはともに不惑を超えたが、大学以来の春と秋の帰郷を律儀に守り続けるのは、彼らのいわば百姓の血に、両親を山中に残す負い目が加わるのだろうか。ともあれ離れて住むために却って関係がうまくいっている。親子の衝突も嫁姑の軋轢もない。孫の学業や行動にいちいち気を病まなくていい。その種のトラブルを耳にするたびに、立場の幸不幸は考えようだと思う。

 むろん、全く問題がないわけではない。たとえば一戸の義務の共同作業や祭礼への参加、また葬式手伝い。どの家も代替わりして出てくるのは若者ばかり。その中に立ち交じる辛抱は体にも気持にもこたえる。また、たとえば一軒から三、四台の車が毎日街に出て行く家々の稼ぎは、筆一本、正しくはワープロ一台のかつかつの暮らしに零落感を強いる。家々の稼ぎは一時期下火になっていた新築にも表れて今年中に、地区の百年のボロ家は拙宅だけになる。今回同時代社から本を出す詩人の寺澤正さんが訪ねてくれたとき、車をどこかの家の庭に乗り入れ、草野の家がこんなに立派なはずがないと引き返したと笑ったが、この次は他家との識別が容易だろう。

が、重ねていえば物は考えよう。共同作業その他も始終あることではないし、ボロ家も他との比較にこだわらなければまだまだ住める。しかも集落と川を隔てる環境も悪くはない。5月中旬のいまは野茨、えご、山帽子、朴、桐、藤の花があたりを彩る。庭先に番の雉が遊ぶ。ふと思う。〈子と住めど東京はさびしと帰り来し老爺に珈琲淹れをりわれは〉という喫茶店主の歌があった。

(詩 人)