
「歴史認識の溝」を探る―閔妃暗殺について(2)
宮崎光雄(みやざきみつお)
閔妃暗殺と歴史教科書
今、歴史教科書の記述内容を巡って、特に日本と韓国との間でおおきな摩擦と論争が生じている。今回は、高等学校における日本史の歴史教科書で閔妃暗殺問題がどのように扱われているかを見てみたい。なお、対象とした教科書は、平成15年度に採用され、現在使われているものである。
教科書採択の仕組み
はじめに、授業で使われる教科書はどのような経過を経て採用されるかを見ておきたい。教科書採択の作業は、大きく3つの段階を踏んで行われている。以下は川崎市の例であるが、他都市及び県立(都立)高校についてもほぼ同様だと思われる。
第1−各学校に教師集団による調査組織が設置され、そこで、文部科学省の検定をパスした教科書について、どのようなものがふさわしいか、これまでの教育実践を踏まえ、学校現場として調査・検討と意見集約が行われる。あわせて、学校の枠を超えた、同一の教科書が使われる地域毎に横断的な調査委員会が持たれ、調査・検討が行われる。
第2−第1段階の報告は、有識者や教育関係者によって組織される「教科書選定審議会」に報告される。加えて、審議会としてどくじの立場から調査を行う。
第3−これらの結果が教育委員会に報告される。この報告を踏まえて教育委員会は、選定すべき教科書を決定する。なお、川崎市における義務教育の場合、市域を4つの地区に分け、地区毎に教科書が採択される。
以上から言えることは、第1の段階に見られるように、少なくとも今の時点では、現場の教師集団の意見を、ベースとして反映する仕組みが、確保されていると言える。最も民主的でなければいけない教育の分野、特に教科書の採択については、国の教科書検定という問題はあるにせよ、下から報告を積み上げるという今のやり方を後退させないことが大事である。一部に、教育委員会で全てを裁断したいという衝動、或いは特定の結果に選定を誘導するというような上位下達の動きが見られるが、許されないことである。
教科書での扱いについて
以下は、川崎市で使われている高校の歴史教科書について、私が行った簡略な調査の結果である。川崎市では、主として近・現代史を扱う「日本史A」については3冊(山川出版社、第1学習社、三省堂)、通史を扱う「日本史B」については8冊{東京書籍(ここは2種類)、実教出版、三省堂、桐原書店、山川出版社、実教出版、清水書院}が使用されている。全11冊について見たところ、東京書籍の「新日本史B」を除く10冊で閔妃暗殺について記述されていることが分かった。従って、ほぼ全ての教科書に載っているということである。その内訳は、「日本史A」については本文に記述しているものが2冊(第1、三省)、注記として載せているものが1冊(山川)。「日本史B」については、本文記述が5冊(東京、三省、山川、実教、清水)、注記が2冊(実教、桐原)であった。
記述の内容については、一見したところでは大同小異だが、しかし、よくみるとかなりの差がある。その一つは、字数の多寡はあれ、「事実」と認められる事柄のみを簡潔に記載しているもの。例えば、「朝鮮に対しては、日清戦争後に閔妃一派が反日的政策をとったため、1895年、日本公使三浦梧楼らは日本軍を王宮に乱入させて閔妃を殺害した(閔妃殺害事件)。そのため朝鮮政府はロシアにさらに接近するようになった」(山川)。韓国側からだけではなくても、いかがなものかと思われる記述ではある。
他方、一定の意味づけを与える解説的記述を行っているものもある。例えば、「これに対して、1895年、日本公使の三浦梧楼らが親日政権の樹立をめざして高宗妃の閔妃らを殺害した(閔妃殺害事件)ため、日本への猛烈な反発がおこった」(三省堂)。又、本文で「閔妃虐殺事件」として簡潔に記述した上で、この事件の第1報を報道した「ニュウヨ−ク・ヘラルド紙」の記事を口絵として載せ、「三浦公使らは日本での裁判の結果、無罪とされた。韓国の国民は現在でもこの事件を忘れていない」と解説しているものもある(実教出版)。なお索引欄でも多くの教科書でこの事項は取り上げられていた。
扶桑社版「新しい歴史教科書」では
先に挙げた11冊の中に扶桑社版が含まれていないと思われる人もいると思う。それは、教科書として採用されていないからである。これは、今は教科書としてはごく例外的に採用されているにすぎないが、今年度夏に行われる更新に向け、その採択を迫ろうとする動きが強まっている。それでは、扶桑社版では閔妃暗殺はどのように扱われているのだろうか。結論は、全く触れられていない。この本では、先ず、「当時、朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地となり、後背地をもたない島国の日本は、自国の防衛が困難になると考えられていた」として、朝鮮半島の確保が日本の安全保障にとっていかに重要だったかという特異な見地を記す。朝鮮半島を日本の勢力下に置くことを当然視する立場である。そして、日清戦争を「欧米流の近代立憲国家として出発した日本と中華帝国との対決」と記し、日本の安全保障のために「朝鮮が外国の支配に服さない自衛力のある近代国家になる」ようにすること、即ち、宗主権を持っていた清国の遅れた「中華秩序」から朝鮮を切り離し、「文明国」日本と同じ近代国家に作りかえるための戦争という図式として描く。そして、戦争の勝因として、日本人が自国のために献身する「国民」になっていた(裏を返せば、天皇制イデオロギーの浸透)をあげる。三国干渉についても、東アジアに野心をもつ「恐ろしい大国」ロシアなどの軍事力に屈せざるをえなかった無念さを説き、「臥薪嘗胆を合言葉に官民あげてロシアに対抗するため国力の充実に努めるようになった」とする。朝鮮半島は日本の生命線。そのため、清国、ロシアを叩き影響力を殺ぐ。いわんや朝鮮半島については「文明化」の障害物はそれが例え王室であっても除去して当然。閔妃暗殺は取るに足りないこと、と言わんばかりである。
ちなみに、あれだけ分厚い「国民の歴史」(西尾幹二著、産経新聞ニュウスサービス)にも、不思議なことに閔妃暗殺は全く触れられていない。記述の図式は扶桑社版「教科書」と同じだが、「老廃国中国」に対する「文明国日本」の挑戦と勝利を称える。日清戦争は日本からみれば完全な成功だった。朝鮮は初めてこれで中国から開放され「独立国」となったとし、福沢諭吉の文明論と「脱亜入欧」を絶賛する。後に詳しくみるが、このような歴史の描き方を朝鮮や中国の人々が認める筈がない。
韓国の教科書では
勿論、私自身に調べる術は無い。ただ「近現代史の中の日本と朝鮮」(1991年、山田昭次他3名、東京書籍)で、趙景達が、「もっとも韓国の教科書においても、閔妃暗殺事件についてはあまり言及されておらず、奇異な印象をうける。それは朝鮮側にとっては、閔妃暗殺事件があまりに屈辱的な事件であるためなのかもしれない」と述べていることで様子を覗うことができる。なお、ここで趙は三国干渉後の時期の朝鮮について、朝鮮が自主的独立をめざそうとしていたことや、独立協会運動や大韓帝国(高宗)の成立などの動きについて、日本の歴史との関わりという点からも、もっと光を当てることが重要と指摘しているが同感である。閔妃暗殺という蛮行が朝鮮の人々の大きな反発を呼び、義兵運動、ロシアの影響力と朝鮮王室との結びつきの強化などの時期を経て、限界を持ちつつも民衆の側からのものを含め、近代的な自主独立国家の建設をめざした運動が起こるからである。やがて日本は、一方でロシアと、他方で朝鮮王室や自主的な国づくりを目ざそうとする様々な朝鮮国内の動きとの、新たな対峙を迫られることになる。
扶桑社版「教科書」の異常さ
実は私は、調べてみるまで、現在使われている歴史教科書において、一部の例外はあるにせよ、又、暗殺、虐殺、殺害など言い回しの違いはあれ、閔妃事件がほぼ全ての教科書で取り上げられていることまでは知らなかった。
以下は想定である。恐らく、文部科学省でさえも教科書検定の審査基準の中で、閔妃暗殺については「原則として記述すること、或いは記述することが望ましい」程度の基準を設けているのではなかろうか。韓国等との外交関係の現状や、歴史教育の到達点を考慮すると十分予測されるところである。もしそうだとすれば、全く記述していない、それどころか自分の身勝手な見解を教科書という場で押しつけようという態度は、初歩的な教科書としての客観性を持ちえないだけでなく、教科書業界の常識さえも打ち壊そうとするものである。石原東京都知事の「命がけで憲法を破る」と言った心象と通じる、一種の殴りこみ行為と言われても仕方がない。教科書に記載があれば、それを足がかりに教師と生徒達が自主的に深めあうことも可能だ。その糸口さえ与えない異常さは教科書の名に値しないし、韓国などの人々が反発するのも当然である。そして、そのような想定が正しいとすれば、この本を唯々諾々として検定済みとして扱う国のやり方も尋常でない。新しく踏み込んだ記述には厳しく書き直しを命じながら、他方でこのような異常さにたいして是正を迫ろうとしない手法は、認められるものでないことを指摘しておく。
なお、教科書に載っていれば直ちにそれでよし、ということにはならないことも当然である。記述の内容は現状のままでよいのか、歴史の真実を正しく反映した内容となっているか、次回はこの点について、若干の検証を試みたい。 (2005年6月21日)
略歴 1949年長野県生まれ。川崎市在住。市議会議員を3期務める。現在、社会福祉法人職員。連絡先 090−4098−8421。
