
「日の丸・君が代」訴訟、起立命令は「合憲」という判断について
山田正行
最高裁は国歌斉唱時の起立命令は合憲という判断を出した。その理由の一つに竹内判事の「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」がある。しかし、他国との儀式と、国内の学校での儀式とでは、場も脈絡も異なる。いよいよ、学校、教育は「国家のイデオロギー装置」(ルイ・アルチュセール)であるという段階にまで認識を到達させなければならないと考える。
次に「他国」について見ると、その一つの中国では、チベット人がチベットの旗を揚げるだけで重罪とされる(モンゴル人もウイグル人も同様)。そのような圧制に抵抗するチベットの友人たちに思いが馳せる。
ただし、前記「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」という指摘は、痛いところを突くものであり、私も日中交流の儀式では、中国人が日本の国旗・国歌に敬意を表しているから、私もそうしなければならなかった。つまり、起立して斉唱に合わせた。
それでも、日の丸については、卑弥呼(ひみこ/日御子)や天照大神の太陽信仰で、かつて戦乱と暴政の大陸を逃れ、日本に渡来した民が東から昇る太陽に平和を願ったという日の丸平和の歴史観で捉えた。また、君が代には、kiss meの替え歌や忌野清志郎アレンジの「君が代」を思っていた。
そもそも、たかが儀式で有罪とされるのは、何とも窮屈な社会である。この窮屈さは、抑圧ではないのか! 特に隣国が一党独裁体制で、思想言論統制が苛酷であることを考えると、日本の民主主義の後退のみならず、そんなことに影響されてほんとうに情けない。
最後に、国旗国歌の儀式強制の問題を「分かっているけれど…」という人たちは、その判断を尊重する。また、自由や人権のために断固抵抗し続ける人たちの闘いには敬意を表する。そして、お互いの立場を理解しあって、議論が展開し、たかが儀式でなんでここまでやるのかという認識が広がるように願う。
2011年5月30日
山田正行
小社刊『平和教育の思想と実践』『希望への扉−心に刻み伝えるアウシュヴィッツ』『アイデンティティと時代』著者。1953年生れ。大阪教育大学教授。
